第8話「関係者」
真円の月が照らす静かな湖の畔に、一人の少女が佇んでいた。
目を惹く艶やかな銀髪と整った美貌の持ち主――四条貴音である。
「・・・うっ・・・ううっ・・・」
誰もを萎縮させる威厳を放っていた彼女の背中は、今は孤独に小さく震えていた。
「わたくしは・・・どうすれば・・・」
頬を濡らすその横顔はあまりにも幼く、王女をただの少女に見せる。
彼女の胸中に去来する想い。この1ヶ月余りの記憶が、彼女を苦しめていた。
萩原雪歩、水瀬伊織、双海亜美、双海真美、そして――あの人の笑顔が。
765プロのアイドルに近づいたのは、実は偶然ではない。
これから戦わなければならない相手が、どれほどの人物かを確認するためだ。
黒井社長の言う通り悪事に手を染める卑怯者なのか、それとも何も知らぬ無垢な善人なのか。
前者であっても、後者であっても、自分のやることは変わらない。その決意と覚悟があった。
しかし、彼女達の輝きは、貴音の想像を大きく超えていた。
「勝てないかもしれない・・・」
貴音は夜風に冷えきった自分の肩を抱きしめた。
負けることへの恐怖。勝ったところで、恐らく彼女達に二度と顔を合わせることができないであろう、恐怖。
「あぁ・・・」
萩原雪歩を助けたこと、水瀬伊織とオーディションで戦ったこと、双海亜美、真美と面妖な会話をしたこと。
あの方と、らぁめんを食べたこと。
失いそうになって初めて、あの時間の楽しさが、尊さが、身を引き裂かれんばかりに思い出されるのだ。
「わたくしは、もう・・・」
何と、愚かだったのだろう。黒井殿の忠告通り、彼女らに会うべきではなかった。話すべきではなかった。
惹かれるべきでは、なかったのに。
「いっそのこと・・・いえ、もう、詮無き事なのですね・・・」
既に涙は止まっていた。
あるいは、枯れ果てたか。
「往きましょう。わたくしには、やらねばならないことがあるのですから」
決別の決意はできた。
四条貴音は、彼女らと『戦う』。
それは文字通り命を懸けた戦闘である。
すなわち――IDOLの破壊。
IDOLを破壊すれば彼女達は二度と戦わずに済む。その先に幸せな未来があると信じて。
だが、きっと彼女達は深く悲しむだろう。そして敵になった貴音を恨むに違いない。
ならば鋼鉄の意志を持って臨むとしよう。決して傷つかない、鋼鉄の鎧を心に纏わせて。
「来なさい。レオリカ」
月が一瞬、その光を強めたように見えた。
それは気のせいだったかもしれない。しかし湖畔の水面に浮かぶ月は、間違いなくその明るさを増して行く。
あっという間に昼夜は逆転し、ついに目を細めなければならないほどの光で周囲が満ちたとき、凪の湖面から巨大な“何か”が浮き出てきた。
よく見れば気付いたかもしれない。“何か”が水中からではなく、水面という鏡から抜け出すように現れたことに。
「気高き神の鎧よ。人の世に蔓延る闇を打ち払いましょう」
貴音は神々しい巨人の光に向かって手を差し伸べた。

ある昼下がり。
「うぅ〜・・・真さんとオーディションで対決だなんて、ちょっと大変かも〜」
やよいは困ったように頭を抱えた。ツインテールが電車に揺られてピコピコ跳ねる。
「まあ、しょうがないよ。こういうこともあるさ」
真は吊り革に掴まり、肩幅に足を広げてしっかりと立っていた。電車が切り替えポイントを通過する際の不意の揺れにも微動だにしない。
「一緒に番組に出られたら良かったのに・・・」
今日は、とある歌番組の5分にも満たない1コーナーの出演権をかけて、オーディションが行われることになっていた。
プロデューサーは765プロとして1枠を狙うべく交渉したが上手く行かず、こうして真とやよいが対決することとなってしまった。
まだ知名度の低い真・やよいにとっては、数少ない大事な仕事である。どちらも負けられなかった。
「うん、そうだね。でも、それはボクの台詞だよ・・・。最近忙しくてレッスンが疎かになってたからなぁ」
「そうなんですか?でもー、最近ずっと事務所にいなかったのって、レッスンが忙しいんだってプロデューサーが言ってましたよ?」
「え!?・・・っと、それは、と、特訓!実は山に篭って秘密特訓をしてたんだよ!」
「とっくんですかぁ!?うっうー!凄いですー!」
やよいの目がキラキラ光りだした。
「やっぱりー、滝に打たれたりとか、クマと戦ったりとかですか?」
「そ、そんなとこかなー・・・ハハハ。体力はついたけどあまりレッスンにはならなかったと言うか・・・」
この数日間、アイドルたちはスクトゥムへの対抗策を磨くべく、交代で山中や無人島へ赴き戦闘訓練を密に行っていた。
確かに銃弾の滝に撃たれたり鈍色の熊?と戦ってはいたので嘘ではないよな、と思う真。
「まあ、そんなワケだから。今日のボクは手加減ナシのバリバリ全開でいくからね!よろしくね、やよい」
「うっうー!わたしも何だかメラメラ〜ってなってきたかも!よろしくお願いします!真さん!」
ハイタッチを交わし、笑いあう。そうこうしているうちに、電車はやがて乗換駅へとたどり着いた。
人の流れに任せて改札へと向かう道すがら、人ごみと雑音の中を綺麗に突き抜けるハスキーボイスが2人の足を止めた。
「あー!何で目的の駅が書いてないんだー!?乗る駅は間違ってないハズだぞ!」
あまりによく通る声に誰もがチラリとそちらを見遣るが、すぐに興味を失って歩き去っていく。
乗換えが分からないだけなら駅員に聞けば済むはずだから自分が手を出す必要はない、と誰もが判断したのだろう。
しかし、やよいは持ち前の親切心から、停車駅案内図とにらめっこするポニーテールの少女に声をかけた。
「あのー、何かお困りですか?」
「へ?」
あらゆる人間に保護欲を抱かせる純真無垢な瞳に見上げられ、ポニテ少女は一瞬戸惑った。
「どうしたの?乗換えが分からないのかい?」
ふらっと声をかけに行ってしまったやよいを追いかけ、真がやよいの後ろから声をかける。
「次郎!?・・・それに、ハム蔵?」
真、やよいの順番に視線を移し、誰とも知れない名前を呟く少女。
「え?なんですか?」
「あー、いや、なんでもないぞ!」
ブンブンと首を振る。つられて、ポニテも盛大に左右に揺れる。少女の髪からは太陽の香りがした。
「本当に何でもないぞ!別にどの電車に乗ればいいか分からないなんてことはないんだからなっ!」
(・・・分かり易い子だなぁ)
真は苦笑した。
「それで、どの駅まで行くんだい?」
「ううっ・・・さ、坂上ってトコ。でも、別に迷ってなんかないんだぞっ!」
「はいはい、分かってるよ」
「真さん、坂上って、わたし達の目的地と一緒じゃないですか?」
「本当かっ!?」
ポニテ少女が目を輝かせる。
「うん、そうだね。一緒に来るかい?」
「そ、そうだな〜・・・よし、ハム蔵が迷子にならないように、自分が一緒に行ってあげるぞ!」
そう言って、ポニテ少女は元気一杯の笑顔でやよいの肩を叩いた。
「自分、我那覇響!よろしくな!」
「わたし、高槻やよいって言います!よろしくお願いしますね、響さん!」
両手が後ろに突き出るくらいガバッと頭を下げてお辞儀をするやよい。
その可愛らしい動作に響は破顔して、
「くぅ〜っ、やよいはハム蔵に似て可愛いなぁ!」
「ハム蔵・・・?ハム蔵って、さっきから出てきてますけど・・・」
「ハム蔵は自分のペットのハムスターだぞ!」
えっへん、と何故か胸を張る響。服の盛り上がりから察するに、見た目以上にボリュームがあるようだ。
「うぅー・・・わたし、ハムスターに似てますか?」
やよいは自分の顔をペタペタ触る。
「そっちは・・・次郎に似てるな」
「ボク?次郎って・・・ひょっとして可愛いネコとか?」
期待の眼差しを向ける真に、響はありえないといった顔で首を横に振った。
「いや、次郎は自分のいとこだぞ」
「え!?ってことは、次郎って男の子だろ?酷いなぁ」
「次郎に似てるから、次郎もどきだな」
「ちょっと。ボクには菊地真って名前があるんだけど」
「ふーん、そっか。それより・・・なぁなぁやよい〜、サーターアンダギー食べるか?」
やよいにはデレデレ、真には何故かツンツンの響。
真は釈然としない表情だったが、一度言い出したことを曲げるつもりはなく、3人はわいわいと固まって改札を通り抜けた。
ピンポーン
当然ながら、そのまま出ようとした響の前で自動改札が道を塞ぐ。
「うわっ!?で、出られないぞ!これは罠か!?や、やよい〜っ、待ってくれ〜」
「はいはい、いいから駅員さんに切符見せて」
ちょっと半泣きの響にため息をつく真だった。

「着いたぞ〜っ!」
坂上駅の改札を抜けて、響はうーん、と両手を上げて背を伸ばした。
「まったく、内地は移動がややこしくて面倒だぞ」
「まあ、一つの駅から路線がいくつも出てるなんてよくあることだからね」
「わたしも最初の頃はよく分かんなかったです」
「とりあえず、ありがとうな!やよい!ついでに真も」
「どーいたしましてですっ!」
「ボクはついでかよ・・・」
響はカバンから紙袋に入った揚げ菓子を取り出すと、やよいと真に一つずつ手渡す。
「じゃあ自分、急ぐから!またなー!」
そして元気一杯に手を振って、足早にその場を立ち去った。
「これは・・・サーターアンダギーか。さっきも“内地”とか言ってたし、本当に沖縄出身なんだね。んー、でもオーディション前に食べるわけにはいかないな」
「うー・・・どうしよう・・・」
「やよい、どうしたの?」
やよいはもらったお菓子を丁寧にハンカチに包みながら、困ったように眉根を寄せている。
「あの、コレ持って帰って弟達にあげよーって、思ったんですけど・・・4つに分けるにはちょっと小さいかも」
「え?やよいがもらったんだから、やよいが食べればいいじゃないか」
「あたしは別に大丈夫ですからっ」
(ううっ、やよいはいい娘だなぁ・・・)
家族思いの健気な少女に、心の中でホロリと泣いて。
「じゃあこれも持って帰りなよ。半分ならそんなに小さくはならないから」
「え?!でもでも、これは真さんがもらったものじゃ・・・」
「いいよ、ボクは。そんなにお腹も空いてないし」
「そうですかー・・・?じゃあ、いただきますね。あのっ、ありがとうございます!」
「いいっていいって。あ、それより時間は?」
時計を確認すると、持って出発したはずの余裕はとうに無くなりかけていた。
「ま、マズい!このままじゃ遅刻だ!」
「た、大変です〜!」
2人は慌てて走り出す。奇しくもその方向は、我那覇響が走り去った方向と同じであった。

「ま、間に合った〜っ」
「何とか遅刻せずに済みましたね」
時間ギリギリに受付で登録を済ませ更衣室に入った真とやよいは、入り口の方を向いて固まっている下着姿の先客に気付いた。
『あ』
沖縄少女との再会は、3人の予想よりずっとずっと早かった。
「何だ、やよいと真か〜。男が入ってきたかと思ってびっくりしたぞ」
「な、何だとー!」
真が拳をふりあげて食って掛かる。
「わわ、真さん、落ち着いてくださいっ!」
「何だよ〜、お前が次郎に似てるから悪いんだぞ」
「ボクは女だぁ!」
ジト目の響に真は涙目で抗議。
「お、落ち着いてください〜。真さんは私よりとっても女の子らしいと思いますっ」
ピタッ
真は涙を浮かべたまま、腕にしがみつくやよいに振り向いた。
「やよい・・・それ本当?」
「本当ですっ!」
「そんなのお世辞に決まってるぞ」
混ぜっ返す響に真が言い返そうとして、すかさずやよいが反論する。
「そんなことないですっ!真さんは、わたしよりも胸、おっきいんですよ!」
「・・・・・・」
思わず脱力する真と響。
「や、やよいぃ・・・」
「な、何だか可哀想になってきたぞ・・・」
「どういう意味だよ!・・・って、はぁ・・・もういいよ。女子更衣室に入って悲鳴を上げられるのも慣れっこだし」
「な、なかなか苦労してるんだな」
真はため息を一つつくと、時間も無いのでそそくさと着替えを始めた。
「それより・・・響もアイドルだったんだね」
「そうだぞ!まだ駆け出しだけど、これからドンドン有名になっていくから、覚えておいて損はないぞ」
「うっうー!アイドル仲間が増えて嬉しいですっ。わたしもまだ全然駆け出しのアイドルだから、改めてよろしくお願いしますね」
「やよい、そんな呑気なこと言ってる場合じゃないよ」
真は目を細めた。
「今ここにいるってことは、今日のオーディションの相手なんだから」
「そ、それはそうですけど、でも〜・・・」
「ふふん、自分カンペキだから、やよいはともかく次郎もどきに負けることなんて有り得ないぞ」
「すごい自信じゃないか。でも、ボクもやよいもキミに負けるつもりはないけどね」
バチバチと火花を散らす2人。やよいは間に挟まれて、あわあわと状況を見守ることしか出来ない。
「確かにビジュアルではやよいに劣るけど、ダンスには自信があるんだ」
「フフン、自分はビジュアルもダンスも、ボーカルだって真より上だぞ」
「全部カンペキなんて言うヤツほど、全部中途半端になったりするもんだよね」
「な、何だと〜!?」
「何だよ!?」
真と響が今にも取っ組み合いを始めそうなほどにヒートアップしたその時、
「1番、961プロ我那覇響!3番、765プロ菊地真!4番、765プロの高槻やよい!準備はまだか!?」
スタッフの怒声が飛び込んできて、3人は冷水でも被ったかのように飛び上がった。
「ヤバい、急がないと・・・!」
「765プロ!?765プロだってぇ!?」
響が顔面蒼白になって飛びすさった。
「はいっ、そうですけど・・・響さん、どうしたんですか?」
「あの極悪変態事務所の765プロか!?ぅわーっ、765プロの人間には近づくなって黒井社長に言われてたのに〜」
小走りでオーディション会場に向かいながら、3人は喧々囂々と交し合う。
「極悪・・・へんたい?」
「な、何だよそれ!酷いじゃないか!」
「ふ、ふんだ!そうと分かったら絶対喋ったりするもん・・・か・・・」
つーん、とそっぽを向いた響の声が徐々に弱くなる。
「うぅ〜・・・765プロは、ごくあくですか?」
「や、やよいぃ・・・」
うるうると瞳に涙をためている小動物を目にして、響の決意は脆くも瓦解した。
「そうだ!やよいはきっと騙されてるんだっ!自分がすぐに助けてやるからな!」
「え?」
「ちょっと、響!」
響はやよいの手を両手でぎゅっと握ると、真を無視してさっさと先に行ってしまった。
「な、なんだよアレ・・・」
「うぅ〜・・・わたしにもよく分かりませんけど、と、とにかく今はオーディションに集中しましょう!」
「うん、確かに、そうだね」
2人は駆け出しながらも伊達にアイドルとしてのレッスンは積んでいない。気持ちを素早く切り替えて、審査員の待つオーディション会場へと向かう。
遅刻してきた3人が揃い、6人のアイドルがそれぞれに緊張した面持ちで並んだ。
審査員からオーディションについての注意事項が述べられ、オーディション開始の合図と共に課題曲が流れ出す。
・・・そのはずだった。
しかし、曲の代わりにスピーカーから流れ出したのは、アンドラム出現を知らせる警報音。
「な、なんだ!?アンドラムか!?」
「今日のオーディションは急遽延期とします!全員直ちに避難してください!」
騒然とした会場で、即座にスタッフからの指示が飛ぶ。
「ま、真さん!大変です!早く逃げましょう!」
「えーっと・・・」
真は少し頭を廻らせた。この近くにはモンデンキントの高速地下鉄道が走っているはずだ。非番とは言え、楽しみにしていた今日のオーディションを中止にさせられてそのまま帰るのは癪だった。
「やよい、ボクはちょっと用があるから、先に逃げてて!」
「えぇっ!?真さん!?真さーん!」
真はやよいを置いて会場を飛び出した。
避難する人々の波間に、すぐに真の姿は消えてしまった。
呆然と立ち尽くすやよい。その視界の端に、黒い尻尾が人の流れとはまったく別方向に消えるのを見た。
(え?今のは・・・響さん?)
思わず追いかけようとするやよいだが、
「君、何をしてるんだ!早く避難しなさい!」
「はっ、はい!」
スタッフの声に追い立てられ、仕方なくやよいは非常階段へ向かうのだった。

敵はスクトゥムとミレスの混成部隊。
真のネーブラが到着した時には、ヌービアムを駆る伊織が絶好調で攻撃中だった。
「ほらほらほらっ♪遅いわよ!」
スクトゥムのレーザーを紙一重でかわし、ユピテルの最大射撃を叩き込む。
ミレスの照準がヌービアムを捉えた時には、既に大鷲はその場を動いた後である。
「にひひっ、私ってばサイコーね!」
『伊織!あんまり調子に乗っちゃダメよ!速度は19%上がってるけど、装甲は以前より25%落ちてるんだから』
「ふ〜んだ、つまり、当たんなきゃいいわけでしょ?」
律子の忠告にもお嬢様は馬耳東風である。
「この私と今のヌービアムなら、あんな奴ら100匹200匹いてもどうってことないわ!」
「へー、じゃあ手助けは要らなかったかな」
ガゥンッ!!
ヌービアムを追いかけていたスクトゥムの一体が、ネーブラの至近距離からの砲撃によってその胴体に穴を開けられる。
「あら?真じゃない」
「やあ、お待たせ」
「ふふん、別に待ってなんかいないわよ。でも、面倒だからアンタにも手伝わせてあげるわ」
「そいつはどうも・・・っと」
アンドラムの反撃を避け、ネーブラが後退する。天地に火力が二分された隙を見逃す伊織ではない。
「ユピテル拡散モード!ファイア!」
青い閃光がミレス数体を叩き伏せる。一撃で敵の数が半分にまで減った。
「そこだっ!」
負けじと、真も右手に持った円筒型の新兵器でスクトゥムの護りを突き破る。
火花を吹き上げるスクトゥムに、トドメとばかりにバルカンを叩き込みながらネーブラは再度後退。見事なヒット&アウェイである。
「それ何?」
伊織の質問に、律子が答えた。
『“フェザーカッター”よ。対スクトゥム用の新兵器。超強力なエネルギー刃を約0.2秒間発生させるの。威力はご覧の通りよ』
「うん、凄いよコレ!・・・でもさ、もっと射程長くならない?」
『威力を最大まで上げるために射程を犠牲にしたんだから、文句言わないの』
「あと、何かもうエネルギー切れちゃったみたいなんだけど・・・」
『・・・文句言わないの』
「何よ、全然ダメじゃない」
伊織はヌービアムを操縦しながら器用に肩をすくめる。
『ダメじゃないわよ!これが人類の英知なのよ』
「ふ〜ん。ま、あたしにはヌービアムがいるからそんな物必要ないけどね」
ネーブラの代わりにヌービアムがスクトゥムを撃破する。まだまだ連携とは言い難い動きだが、スクトゥムとミレスの混成部隊に対する対策は徐々に整いつつあるようだった。

響はビルの屋上から、その戦いの様子をずっと眺めていた。
「ふーん、あれが765プロのIDOLか・・・全っ然大したことないなー」
不敵な笑みを浮かべて、右手を高く天に翳す。
「あのIDOLを壊してやればいいんだな。そして、やよいを765プロの魔の手から助け出すんだ!」
青天の蒼穹に向かって、響は叫んだ。
「来るさ!バンナイヌ!」

「え・・・?」
闖入者は、突如空から降って来た。
猛然という言葉が具現したかのような激しい飛び蹴りで、最後のスクトゥムを微塵に砕き、着地する。
「うそ・・・あいつのバリアを蹴り破ったって言うの・・・?」
濛々と上がる土煙の中、IDOLと思しき物体がその姿を白日に晒した。
浅葱色を基調としたボディは、モンデンキント・ジャパンで最大を誇るインベルよりもさらに一回り大きい巨体。ボディのあちこちに茶色の不自然なパーツが付随し、ごてごてした凹凸を増やしており粗野な印象を受ける。
『あれもIDOLなの?誰が乗っているのかしら・・・』
律子の呟き。
それに応えるように謎のIDOLは自ら生み出したクレーターから一歩踏み出ると、
「プラグイン、“サーペンス・フラグラム”」
呪文のような言葉を唱え、左腕を突き出した。
すると、その左腕に巻きつくように付属していた細長い茶色のパーツが解れて、まるで蛇の如くうねりだしたではないか。
「ヘ、ヘビッ!?」
真が可愛らしい悲鳴を上げる。
いや、実際にそのパーツは蛇を模した造形をしていた。日本でもポピュラーな毒蛇、蝮である。
IDOLの体から分離した蛇は、その尾っぽをIDOLの左手に巻きつけて動きを止めた。IDOLの足元まで垂れ下がり、その鎌首だけ地面すれすれに浮べている。
「何アレ・・・あんなのが武器なの?」
見ようによっては鞭のように見えなくもない。しかし、酷く滑稽な姿だ。
謎のIDOLはお構いなしに蛇をブンブン振り回し、勢いをつけた。
「とりあえず、邪魔な奴を片付けるさー!」
「あれ?今の声、どこかで聞いたことがあるような・・・」
真が記憶を引っ張り出すより早く、蛇の頭が高速で放たれる。
「えっ?」
蛇は明らかに自らの意思で軌道を変え、予想もできな方向からアンドラムに喰らいついた。しかも、長さは既に先ほどの数倍に伸びている。
よく見れば、蛇腹が等間隔に分離し、間がワイヤーの様な物で繋がれていた。
「そぉれっ!」
蛇に噛み付かれたアンドラムが放り投げられ、残るもう1体のアンドラムに激突する。
謎のIDOLは引き戻した蛇を頭上で投げ縄のように回転させた。今度は先ほどと違い、蛇の顎部に明確なエネルギーの光が宿る。
「“サーペンス・フラグラム”、フィニッシュアクセス!」
再度放たれた蛇は、一直線に2体のアンドラムを貫いた。
爆散するアンドラム。
悠然と蛇を引き戻した謎のIDOLが、改めて真と伊織――ネーブラとヌービアムに向き直る。
「さあ、次はお前達の番だぞ!」
「ちょっと、待ちなさいよ!」
明確な敵意を向ける謎のIDOLに、伊織が慌てて抗議する。
「何でIDOL同士で戦わなきゃいけないのよ!それに、アンドラム排除目的以外での攻撃行為にIDOLを使うのは国際法違反でしょ!?」
「え、そ、そうなのか?!」
「そうよ!アンタ、そんなことも知らないの!?どこの誰か知らないけど、とんだ常識知らずがいたもんだわ!」
「ちょ、ちょっと伊織……」
いきなり舌戦を飛ばす伊織。思わず真が宥める。
浅葱色のIDOLは足を止め、困ったように左右を見渡す。
「え〜と、でも、黒井社長がやれって言ってたし……」
「何を迷っているのです、響」
もう一人の乱入者は、同じく空から舞い降りてきた。
臙脂と白のツートンで彩られた豪奢な巨人。これもまたIDOLなのか。
豪快に飛び込んできた浅葱色のIDOLとは対照的に、気品すら感じられる挙動で優雅に着地した。
『またなんか増えた……』
通信機の向こうで律子が頭を抱える。
「た、貴音ェ〜」
浅葱色のIDOLのパイロットが、情けない声で助けを呼ぶ。
「貴音?」
「響だって?」
真と伊織が聞き憶えのある名前に反応した。
「大義は我らにあるのです。何を迷う必要がありましょうか」
「だって、ほーりついはんだって・・・」
「法を律する者が過っていれば、法もまた過つのが道理」
「え?全然言ってることが分かんないぞ」
「・・・つまり」
ガション、と浅葱色のIDOLが手を打った。
「う〜ん、つまり、問題ないってことか?」
「・・・そうです。私達は、最初の予定通りに動けばよいのです」
「うん、分かった!」
急にやる気を取り戻した浅葱色のIDOLが蛇を構える。
「アンタ、もしかして・・・」
「その通りです、水瀬伊織」
伊織が問いただす前に、臙脂色のIDOLもまたランスを構える。
「私は――四条貴音。この子はレオリカ」
「自分は我那覇響!んで、コイツはバンナイヌっていうんだ!」
伊織はとうとう、ユピテルの銃口を2人に向けた。
「なんでよ・・・なんでなのよっ!?」
「・・・・・・」
答えず、レオリカはランスの矛先をヌービアムに向ける。
槍対銃。リーチの差は何十倍もあるはずなのに、
「!?」
ゾクリ、とした背中の感覚を信じ、伊織は地を蹴った。
刹那、緋色の閃光が迸る!
閃光は一瞬で市街を貫き、モーゼの如く一直線の道を切り開いた。
「ウェヌスの一撃、よく避けました」
レオリカがバサリと翼を開く。それはヌービアムのような無骨な模造の翼ではなく、まるで本物の鳥翼の様であった。
空へ退避したヌービアムを追いかけ、素早く天に舞い上がる。
「伊織っ!」
「おっと、よそ見してる暇はないぞ!」
地に残されたネーブラには、バンナイヌが襲い掛かる。
「うわっ・・・っとと!」
器用に蛇を避けながら、ネーブラは後退する。
「響!響なんだろ!?何でこんなことをするんだ!」
「その声、さっきの・・・真か?」
「そうだよ!菊地真!」
「そっか〜。良かった、ちょっと安心したぞ。もしやよいだったらどうしようって思ってたとこなんだ」
「何の話だよ!いいから、ボクの質問に答えてくれ!」
怒鳴るようにして言い返しても、響はどこ吹く風だ。
「自分は黒井社長に言われたとおりにするだけだぞ。だから、765プロのIDOLを倒すんだ」
「理由になってないよ!」
バンナイヌの攻撃を避けきれず、フェザーカッターを盾に蛇の顎門から逃れる。
人類の英知はまるでスナック菓子のように蛇に噛み砕かれた。
『あー!!ちょっと真!あんたなんてことすんのよ!』
「ご、ゴメン、思わず・・・」
『あれ開発するのにいくらかかったと・・・』
「小言は後で聞くよ!」
ネーブラは腰に取り付けたもう一つの新兵器、フラクタルアクスを取り出した。見た目はただの手斧だが、高層ビルをバターのように切り取ることが出来る業物だ。
動きの止まった蛇に向かって、気合とともに振り下ろす。だが、この新兵器を持ってしても蛇を断ち切ることは出来なかった。
蛇が自分で体をうねらせ、斧を絡め取るように受け止めたためだ。
「くそっ・・・!」
「ふっふーん」
斧を奪おうとするバンナイヌと、手放すまいとするネーブラ。二機の戦いは膠着に陥った。

一方、戦いの地平から遥か遠くにあるモンデンキント・ジャパン司令室は、混乱の極地を迎えていた。
「一体何でこんなことになってやがる・・・!」
プロデューサーは戦況を映すモニターを睨みつけながら、唇を噛んだ。
別件の用事で本部に立ち寄ったプロデューサーは、アンドラム出現の報を受け司令室に顔を出していた。
本来、戦闘に関する諸々は管轄外である。言ってしまえば、ただの暇つぶし。
今週も現れた未知の勢力を撃破し、『また来週』と何でもない日常に戻るはずだった。
――そう思っていたのに。
「ど、どうしましょう。ぷ、プロデューサーさ〜ん・・・」
「とりあえず社長に報告して下さい!それからあの2機のデータ照合!あらゆる情報を記録しつつ、あとは取り敢えず停戦勧告を続けて!」
「は、はい〜」
これではどっちが司令官なのかわかったものではない。
「IDOLで私的戦闘行為なんて・・・世界を敵に回す気か、貴音・・・!」
回線を通じて停戦の呼びかけを繰り返しているが、モニターの向こうでは変わらず戦闘が続いている。
まだ動きに迷いが見られるネーブラ、ヌービアムが圧倒的に不利だった。
「あっちの大きい奴・・・まさかあの『オーガ』か?似てはいるが、ちょっと違うような・・・」
「データ照合・・・エラー?多分、未登録機体?」
「未登録だと!?」
「ひうっ」
苛立を隠せないプロデューサーの大声に、報告したオペレーターが縮こまる。
「2機とも新型だっていうのか?モンデンキントの目をすり抜けてIDOLを2機も隠し持っていた・・・いや、ありえないだろ・・・あっちの大きい奴は『オーガ』じゃないのか?」
「データ確認・・・似てるけど、違う」
「そうか。しかし同系機となると・・・どっちにしろ厄介だな」
プロデューサーは顎に手を当てて考え込む。
「ど、どうしましょう〜・・・」
あずさは右を見てはおろおろ、左を見てはおろおろを繰り返した。
『あずさ司令、それと、プロデューサー君もそこにいるのかね』
そこへ通信機から壮年の男性の声。高木社長だ。
「社長」
『モンデンキント本部は、今回の件を完全な第三勢力による攻撃と結論づけたよ』
「・・・まあ、そうでしょうね」
『防衛行動の範囲内での攻撃許可もたった今発令された』
「・・・・・・」
ギリリ、と歯噛みをする音が、静まり返った司令室に響いた。
『今後の対処については協議中だ。ひとまず――』
「・・・撤退させます」
『久保君』
「撃退しろって言うんでしょう?冗談じゃないですよ」
プロデューサーは薄ら笑いを浮かべた。だが目は笑っていない。
『しかし、ここで撤退しても本部を襲撃されたらどうするのかね』
「しませんよ。するなら最初からやってる。IDOLが出撃して手薄な時を狙えばいい。彼女らはそれをしなかった。つまり目的は、示威行動」
『・・・そこまで分かっているのなら、なおさらだよ』
「もっと分かってますよ。・・・モンデンキントがビビって逃げ出したなんて言われたくないから戦えって言うんだろ!?」
『落ち着きたまえ。モンデンキントとしての面子も大事だ。我々は人類の先頭に立って戦っているのだからね』
「そんなクソみたいな面子のために、あの子たちに戦えって言えるのかよ!アンタは!?」
プロデューサーは口調も荒々しく机を叩く。
プロデューサーがこれほど強く誰かに怒鳴るところを、司令室の誰も見たことがなかった。
皆驚きに目を丸くして黙りこむ。
「相手がアンドラムならまだいい、だが相手は同じ人間だ!しかも、同じアイドルだぞ。何で彼女らが戦わなきゃいけないんだよ!」
誰もが黙り込む中、諭すような社長の声だけは揺るがなかった。
『事情は分からないが、仕掛けているのは相手の方だ。何もしないというわけにもいかないだろう?』
「・・・例え白旗を上げることになっても、俺は反対ですよ」
プロデューサーは悔しそうに吐き捨てると、あずささんに頷きかけた。
MDKJの緩い風紀ではいつもは問題にされていないが、実際の指揮権という意味では司令であるあずさが何より優先される。
「分かりました。・・・ん〜、じゃあ、5時の方向に転進してくださ〜い」
「5時?それって・・・」
「それで、基地まで到着したら2人とも回収しちゃいます。うふふ」
『あ、あずさ君!それでは撤退と同じじゃないかね!?』
「いいえ、転進、ですよ〜。敵さんがここまで来たら、他の皆にも出てもらいます」
『・・・むぅ、分かった。本部にはそう報告しておこう』
ため息混じりに社長は通信を切る。プロデューサーは安堵の表情で額の汗を拭った。
「・・・ありがとうございます、あずささん」
「うふふ、どういたしまして〜」
あずさはニコニコ顔で応えるが、少し真面目な顔つきになってプロデューサーに耳打ちした。
「でも、プロデューサーさん。今日はこれで良くても、何時までも上手くいくとは限りませんよ?」
「・・・分かってます」
プロデューサーの表情は、偏頭痛を抱えているかのようにいつまでも晴れなかった。

司令室が大騒ぎをしていた頃、戦場ではアンドラムとの戦闘とは別次元の激しい戦いが繰り広げられていた。
蒼の雷光と緋の閃光が何度も交錯し、晴天を戦いの色に染め上げる。
レオリカとヌービアムの2機は、大空を舞台に超高速の空中戦を演じていた。
「このっ・・・!」
ユピテルをろくに狙いの定まらないレオリカに連射する伊織。
レオリカもウェヌスによる砲撃の手を緩めない。
攻撃と回避がミリ秒単位で入れ替わり、動きを止めることは即撃墜に繋がる綱渡りのような戦闘。
重力制御装置による慣性中和を行っているIDOLに搭乗していても、消しきれないGが伊織の体と精神を締め付ける。
早く決着をつけないとマズい、伊織はそう直感した。条件が同じはずのレオリカには、まだ動きに余裕が感じられた。
「行け、アラネア!」
ヌービアムから放たれた、不規則な軌道を描く6つのミサイルがレオリカを狙う。
即座にウェヌスの一撃でその半数が塵と化したが、残り3つが盾を構えたレオリカに直撃した。
「にひひっ、どーお?これで目が見えなくなったわね!」
アラネアは攻撃ではなく通信妨害・煙幕の役割を果たす。
常に移動しているヌービアムの姿はもう見えていないはずだった。逆に、レオリカの動きは止まっている。
「どういうつもりなのか、動きを止めてからじっくり聞かせてもらうんだから!」
ユピテル拡散モードの雷光が空にわだかまる煙雲を満遍なく貫いた。
だが、次の瞬間、機体から黒煙を吹き上げたのは伊織のヌービアムの方だった。
「なっ・・・!?」
煙雲から山彦の様に放たれた緋色の閃光がヌービアムを掠めたのだ。
「その様な攻撃では、"レモティオ"の守りを貫くことは出来ませんよ。水瀬伊織」
悠然と。
レオリカが再びその姿を現した。レオリカを球状に包むバリア・フィールドを伴って。
「バリア付き・・・そう、やってくれるじゃない」
伊織はふつふつと怒りがこみ上げるのを感じながら、極めて冷静に、ユピテルのリミッター解除にかかった。

「響!なんでこんなことするんだ!」
真のやりきれない声が、戦場に木霊する。
「とぼけたってムダだぞ。自分、知ってるんだからな!」
「何をだよ!」
「765プロは裏でモンデンキントと繋がってて、IDOLを使って悪さをしてる変態事務所だって、黒井社長が言ってたんだぞ!」
「だから、何なんだよそれは!いいがかりもいい所じゃないか」
「でも、モンデンキントと繋がってるのはホントだろ?」
「そ、それは・・・」
この状況で言い逃れられるはずも無い。
「やっぱり、黒井社長の言ってることは正しかったんだ!」
「何でそうなるんだよ!ボク達は悪いことなんか何もしてないぞ!」
「うるさーい!強情っぱりの言うことなんか聞くもんか!プラグイン、"カーニス・グラディウス"!」
突然、バンナイヌの右足に付着していた茶色のパーツが外れ、解れるようにしてその姿を変えた。
「ま、またヘビ!?」
「外れだぞ!よーく見ろ!」
ヘビとは違う、明らかな四肢を持った獣の姿。鼻先から尻尾までスラリと続く流線型は、捕食生物独特の危険なフォルム。
尖った耳を立て、低く唸るその姿はどう見ても――
「狼か!」
「犬だぞ、犬!」
『・・・どっちも同じじゃない』
律子が呆れ声でツッコんだ。
「えー?どう見ても狼だろ?」
「犬ったら犬なんだぞ!」
響が言うところの犬は、ネーブラを敵と認識したのか獰猛な唸り声をあげてゆっくりと近づいた。
「ま、まずい・・・!」
ネーブラは力の均衡の中で動けずにいた。こんな状態を襲われたら一溜まりもない。
『真、その場は放棄して退却しろ』
不意に、プロデューサーからの通信が入った。
「え?プロデューサー、どういうことです!?」
『いいから武器を捨ててさっさと逃げ・・・もとい、5時方向に転進しろ。基地まで戻るんだ』
「でも!」
『早くしろ!』
「はっ、はい!」
いつになく余裕のないプロデューサーの声に、真は頷くしかなかった。
右手の斧を手放すと、たちまち蛇が絡めとってしまう。だが、隙はできた。
「逃げるのか!?」
背を向けたネーブラに、響が驚きと嘲りの混じった声をかける。
「・・・次は絶対に負けないから」
真は悔しさを滲ませた捨て台詞を吐いて、全力疾走した。十分に距離を取ると、橙色の機体は大空へ飛び上がった。
その様子を横目に見ながら、一向に戦いを止めようとしない伊織。
『伊織ちゃん?お願いだから、早く撤退を――』
「うるさいうるさいうるさーい!」
毎度のやり取り。だが今日ばかりは、プロデューサーの威圧的な声が伊織のわがままを許さなかった。
『伊織』
「・・・な、何よ」
『一度だけ言う。今すぐ下がれ。命令に従えない場合、お前をヌービアムから降ろす』
「なっ」
『俺は本気だ』
「わ、分かったわよ・・・」
流石の伊織も尋常ではない空気を察し、ヌービアムの翼を翻す。
追撃を覚悟した伊織だったが、背を向けた無防備なヌービアムに対し、レオリカは一度たりとも攻撃をしなかった。追いつこうと思えば伊織に追いつくことなど容易いはずの機体で。
(ナメられてるってわけね・・・)
伊織の中で、怒りはマグマのように滞留していく。
だが、それを簡単に爆発させるほど、伊織は愚昧ではなかった。
今のヌービアムでは勝てない。認めたくない事実だったが、伊織は誰よりも深くその事実を胸に刻みつけた。

「退きましたか・・・」
暮れ始めた空に去っていく2機のIDOLを見送り、ポツリと貴音は呟いた。
「ふふ〜ん、楽勝過ぎてつまんなかったぞ!わっはっは!」
バンナイヌは仁王立ちで高らかに笑い声を上げる。
「・・・いいえ、こちらの思惑を見抜いてのことでしょう。賢明です」
「そうなのか?まっ、どっちでもいいけどな」
「我々の目的は果たしました。退きましょう」
レオリカはバンナイヌの側に舞い降りると、槍を天に翳した。
すると、2機の回りを光の壁が包み、徐々に内側に向かって収束していく。
全ての光が1点に飲み込まれるように消えると、まるで最初からいなかったかのように、2機の姿もまた消えていた。

無事、基地に帰還した真と伊織を、プロデューサーはデッキで出迎えた。
痛々しいほどに傷ついたIDOLがすぐに修理ドックに運ばれ、大勢の人間が慌しく動き始める。
その喧噪の中でもよく響く声で、プロデューサーは二人の名を呼んだ。
「真!伊織!」
「プロデューサー・・・」
「・・・・・・」
真は随分と意気消沈した様子で、伊織はそっぽを向いたまま唇を強く噛み締めていた。
「スイマセン、ボクがもっと強ければ・・・」
「バカ、そんなことはどうだっていいんだよ。怪我はしてないか?どこか痛かったりは?」
二人に駆け寄ったプロデューサーはまず真の両肩を掴み、体のあちこちをつぶさに観察して無事を確認する。
「いえ、その、大丈夫です」
「そうか・・・もし少しでも違和感を感じたら遠慮なく言えよ」
最後に顔を覗き込まれて、真っ赤になって俯く真。
プロデューサーはパッと伊織に近づこうとして、
「・・・近づくんじゃないわよ。鬱陶しいわね」
「伊織はどうだ?何ともないか?」
「ふんっ」
しかし伊織は取り付く島もない、といった様子だ。
「ああそうか、すまない、気が動転していた。オレンジジュースでも買っていってやろうと思ってたんだが」
「そういうこと言ってんじゃないわよ!」
「伊織・・・」
伊織はプロデューサーを強く強く睨み上げた。
「・・・何で逃げなきゃいけないのよ」
「・・・戦いたかったのかよ」
「仕掛けてきたのはあっちよ。何にも知らないフリして近づいて、私たちをバカにしてたんだわ。そんなの許せないじゃない!」
「・・・・・・」
(貴音は本当に俺たちの敵だったのか?)
プロデューサーは未だに信じられずにいた。だがそれは、まるで悪い夢でも見ているかのようだ、という曖昧な理由でしかない。
そんなことを口にすれば、伊織がますます怒ることは分かっていた。
プロデューサーは黙って首を横に振る。
「どんな理由があったとしても、俺はIDOL同士での戦いは許可しないぞ」
「・・・普段は偉っそうにしてるくせに、肝心なときには臆病者なのね。幻滅したわ」
「伊織!言い過ぎだよ!」
「ふんっっ!」
伊織は真を一睨みすると、激しい足音を残してその場を去った。
プロデューサーは後頭を掻いて、ため息。
「プロデューサー、あの、伊織のこと・・・」
「分かってるよ。俺のことは別に嫌われたっていい。お前たちが無事でさえいてくれれば、それだけでいいんだ」
「プロデューサー・・・それは」
伊織の去っていったキャットウォークの先をじっと見つめるプロデューサー。
そのせいで、傍にいる真の何か言いたげな視線には、ついに気づかなかった。

第8話・了