第9話「ダンサー我が道を往く」
ダンス。
それは体全体を使って観客を視覚的に惹きつける行為。
指先まで利用して曲や演者の感情を現す複雑な動きから、単純に筋肉とバネと運動神経を駆使した激しく素早い動きまで様々である。
だが表現の難易度とは裏腹に、技術力や失敗の度合いが素人の目にも分かりやすい。
それ故、ダンスを武器とするアイドルは少ない。確実に、そつなくこなし、冒険はしない。それは極めて正しい考え方である。
だが、『彼女』は違った。

「ビジュアルやボーカルもかなりのものですが、ここまでレベルの高いダンスはなかなかお目にかかれないですね。これだけ派手に動くことを恐れない自信も素晴らしい」
プロデューサーはそう評した。
「キミもそう思うかね」
社長も我が意を得たりと頷く。
光を落とした長官室で、プロデューサーと社長は画面狭しと跳ね回るポニーテールを観察していた。
「ええ。ダンスに関しては真と同レベル・・・いえ、僅かに上でしょう。総合すれば、もっと差が開く」
映像は、961プロの我那覇響が、ルーキーズという新人アイドルの登竜門と呼ばれる番組に出演したときの映像を録画したものだ。
この番組出演をきっかけに、響は爆発的な人気を得るようになっていった。
「これがプロジェクト・フェアリー。961プロ所属のアイドルの中でも、トップクラスの人間だけが選ばれるアイドル育成プロジェクト・・・ですか」
「うむ。プロジェクト・フェアリーに選ばれたアイドルは、961プロが全面的に押し出してくることになるだろう。我が社のアイドルにとって、強力なライバルとなる」
「なるほど・・・確か、貴音も選ばれていたはずだ。とすれば、真の言っていた通り、彼女がバンナイヌのパイロットで間違いないでしょう」
「残念だが、そのようだね」
「・・・どうされるんですか?」
「・・・・・・」
社長は深い溜息をつくと、リモコンを操作しモニターの映像を切り替えた。
「これは数時間前に、国連と主要国政府、そして全世界のモンデンキント支部に送り付けられた映像だ。今は未公開の極秘資料だが・・・マスコミに送り付けられるのも時間の問題だろう」
モニターには謎の文字文様に三角形をあしらった奇妙な紋章が映し出される。映像は動かず、男の声だけが流れてきた。
『我々は、トゥリアビータである』
朗々とした、演技がかった喋りだ。あまりの胡散臭さに、プロデューサーは鼻を鳴らした。
『本日、モンデンキントジャパン所属のIDOLと日本・東京で交戦し、これを撃退したIDOLは我々トゥリアビータが所持するIDOLである』
男の声は機械で変調してあるらしく、元の声が高いのか低いのか、男なのか女なのかもハッキリとしなかった。
『これは犯行声明ではない。トゥリアビータの立場を明らかにし、世界を支配せんと企むモンデンキントへ正義の鉄槌を下すための宣告である』
(正義を名乗るのはテロリストの常套手段だな)
『世界は悪意によって支配されようとしている。政治・経済・情報・人命、全てがモンデンキントに掌握されつつあるのだ。トゥリアビータは、世界を我が物にせんとするモンデンキントを決して許しはしない』
(モンデンキントは確かに巨大な企業・・・いや、一国に匹敵するほどの存在になっている。だが、体制に対する不満は、『儲けの少ない奴』が必ず持つ感情だ。最後まで納得できない馬鹿が、構造こそが間違っていると決めつけて暴れだす)
プロデューサーはトゥリアビータの宣言を軽く聞き流していた。
『人類に光を取り戻す第一歩として、不当に強大な戦力でもって人類の自由を踏みにじるモンデンキントのIDOLを我々は破壊する』
(・・・矛盾)
仮にそれを達成したとしても、最後はトゥリアビータのIDOLが世界を支配する。子どもでも考えつくことで、まったく正当性がない。
『我々がIDOLを所持しているのは、モンデンキントのIDOLに対抗するためである。だが、モンデンキントが持つIDOLは、モンデンキントが犯した人類への極めて重大な罪の証拠なのだ』
「・・・何?」
プロデューサーは思わず声を漏らす。
『我々トゥリアビータは、人類に代わってモンデンキントを裁くために存在する。彼らは贖わなければならない』
スピーカに頭を寄せて耳を傾けたが、男は『モンデンキントの犯した罪』について詳細を語ることはなかった。
『トゥリアビータは、人類に光を取り戻すため、最後まで全ての悪意と戦うことをここに誓う』
男が最後にそう括ると、映像はブラックアウトした。
「英語、フランス語、中国語・・・あらゆる言語でまったく同じ内容が送られてきたのだよ」
「トゥリアビータの言う、『モンデンキントが犯した罪』とは?」
「やはり、そこが気になるかね」
「当然です」
プロデューサーは立ち上がって社長に詰め寄る。耳打ちをするかのごとく声をひそめて、
「まさか、『あの事故』のことですかね・・・?」
「いや、それはないと思うがね。彼らは人類に対する罪とまで断言した。仮にあの時のことを公表したとしても、IDOLを擁してまで反抗する理由にはならんだろう」
プロデューサーは複雑な表情で、再び椅子に腰掛けた。
「ウチの上層部は何と?」
「まだ揉めているよ。だが、しばらくは静観するという意見で固まりつつある」
「そんな馬鹿な・・・!彼らはテロリストですよ!?」
「彼らにとっては、アジアの一地方で起きた小競り合いとでも思っているのだろうね。それに、・・・これは推測だが、トゥリアビータの手が入っている可能性もある」
「対処に本腰を入れられないように、ですか。何故今になってモンデンキントに反旗を翻したのか疑問に思いましたが、根回しが終わったから旗を上げた・・・と?」
自分の金と立場さえ守られれば信義などどうでもいいと考える人間は少なくない。プロデューサーは歯噛みした。
「おそらくはそうだろう。それにトゥリアビータのIDOLはかなりの戦闘力だ。モンデンキントのIDOLの数は圧倒的だが、どこもアンドラムの対処で手一杯になっている。僅かな戦力を削り出して消耗することをどこの国も嫌がっているのだよ」
「モンデンキント・ジャパンだけで対処しろと!?無茶ですよ!」
社長は大きく頷いた。
「落ち着きたまえ。勿論無理があることは分かっているとも。だが、トゥリアビータの戦力自体がまだ不明だ。日本に戦力を結集したところで、他が襲われては意味が無い」
「くそっ・・・問題はあの転移技術ですか」
レオリカとバンナイヌは光りに包まれて消えた。出現時も同様に、どうやって現れ、どこに消えたのかは一切が不明である。
「とにかく情報を集めなければならん。後手に回らざるをえないが・・・」
(どこにいるか、いつ襲ってくるか分からない敵。こちらは常に後手。どこの国もテロリストの対処に頭を悩ませるわけだよ・・・)
こんなところで国のお偉いさんの苦悩を味わい、プロデューサーはこめかみを押さえた。
「961プロとの関係性は?こう言ってはなんですが、強制捜査はできないんですか」
「それについてだが・・・961プロからは関係を否定するコメントがでている」
社長の苦々しい表情に、プロデューサーは力なく肩を落とした。
「・・・何となく予想がつきました。上層部はそれを支持したんでしょう」
「そうだ。下手に動けば、世界中のアイドル事務所がモンデンキントと繋がっていることを公表されることになるな」
もしそんなことがバレれば、世界中の人権屋が目の色を変えて群がってくるだろう。アイドルたちの中にも、嫌戦ムードが生まれてしまう。今のモンデンキントにとって士気の低下は致命的だ。
「お互いに秘密をバラすのは得策じゃないってとこですか・・・黒井という男、何が目的でトゥリアビータに協力を?」
「ふん、あの男は昔から嫌な奴だったからな。いずれこういうことをすると思っておったよ」
「社長?」
突然口調がグチっぽくなった社長に、プロデューサーが首を傾げる。
「ああ、スマンスマン。黒井とは旧知の仲でな。あの頃は私も黒井も、同じプロデューサーとして活躍していた・・・しかし、あんな男とライバルだなどと思われては困るぞ!」
「はあ」
ライバルだったんだな、とプロデューサーは納得した。
「つまり、黒井社長は765プロを表裏両方から潰そうって腹なんですかね」
「おそらくは、そうだろう。そのためならどんな手段だって厭わない奴だ。十分、注意してくれたまえ」
「分かりました。・・・社長、961プロのアイドルにステージで負ける気はありませんが、IDOL同士の戦いはどうするおつもりです?」
プロデューサーの鋭い視線が社長を射抜く。
ネーブラとヌービアムを退かせるかどうかについて舌戦を飛ばしたのは、つい数時間前のことだ。
社長はしばらく迷った後、重々しく口を開いた。
「・・・私は、トゥリアビータのIDOLを破壊しろとまでは言わない。だが、戦わずに切り抜けられる状況とは思えんがね」
「・・・・・・お言葉ですが」
遮って、
「だが、キミはそれでは納得しないだろう。――しばらくは、キミに一任するよ」
「ほ、本当ですか!?」
社長の意外な返答に、プロデューサーは勢い込んで聞き返す。
何時間かかっても社長を説き伏せる覚悟でいただけに、プロデューサーにとってこれは意外な結果だった。
「おっと・・・失礼しました」
「うむ。キミの方から皆に方針を伝えてくれたまえ」
「はい。ありがとうございます」
プロデューサーは深々と一礼をすると、踵を返し長官室を出ようとした。
その背中に、社長の声が飛ぶ。
「皆への指示は、よく考えたまえよ」
「任せてください」
扉が閉まり、一人部屋に残される社長。
「まだまだ若いな、久保君は。それが彼の良いところでもあるのだが・・・」
しみじみと、呟いた。

帰途についたプロデューサーは、今後のことについて考えながら街路を歩く。
時間はすでに深夜に差し掛かりつつある。
空に浮かぶ、僅かに欠けたる満月を見上げていたら、いつの間にか携帯電話を耳に当てていた。
(賭けてみるか・・・)
おそらく、同じ月を見上げながら、また泣いているであろう少女へ電話をかける。
そのまま何十分という時間が過ぎた。
コール音だけが虚しく聞こえるが、プロデューサーに諦めるつもりはなかった。着信拒否にされるまでは、ずっとかけ続けるつもりでいた。
『・・・はい』
その思いが通じたか、あるいはとうとう観念したのか。
貴音の静かな、とても静かな声が電話越しに流れた。
「・・・よう、俺だ」
『はい』
「あー、何か、久しぶりだな。はは、たった数日会ってないだけなのに、随分久しぶりな気分だ」
『・・・左様で、ございますね』
「とりあえず、話がしたい。用件は・・・分かってるよな」
『申し訳ありませんが、それは受けかねます』
「・・・貴音」
『・・・お願いです。わたくしのことを思うなら、もう、かけてこないでくださいませ・・・』
明確な拒絶の意思を残し、電話はあえなく途切れた。
貴音の最後の上ずった声が、プロデューサーの耳に残っている。
「あんな声で言われちゃ・・・そういうわけにもいかないだろ」
知らず知らずのうちに大きく溜め込んでいた息を吐き出し、プロデューサーはポツリとそう呟く。
少なくとも、四条貴音が心の底から765プロの敵に回ったわけではないことは確認できた。
だが、貴音たちが再びモンデンキントのIDOLを襲うであろうことも、同時に理解してしまった。
(くそっ・・・どうする。どうすればいい?どうすれば、みんなを助けられる・・・!)
プロデューサーは携帯電話をしまうと、懐からタバコを一本取り出す。
「ん?」
がさがさっ、という音に反応して、プロデューサーは足元を見下ろした。
街路樹の茂みが揺れたと思いきや、茶色い小動物が弾丸のように飛び出してきたではないか。
「おおっ!?」
思わずプロデューサーはその小動物を捕まえた。いや、手を差し出したら飛び込んできたと言ったほうが正しい。
月明かりに照らしてみれば、ふくよかな体に大きな頬袋、尻尾がとても短いネズミのような生物だった。
「これは、ハムスター?なんだってこんな所に・・・」
毛並みの綺麗さから、野生ではなく誰かのペットであることは間違いない。
「それにしても大人しいな、こいつ」
てっきり暴れて逃げ出すかと思ったが、意外にもそのハムスターはプロデューサーの手の中でくつろいでいるようだ。
「やれやれ・・・こいつの前で吸うわけにもいかんな」
プロデューサーはタバコをしまった。すると、
「おぉ〜い、ハム蔵〜、どこいった〜・・・」
遠くから誰かを探す少女の声がするではないか。
「お前のご主人様か?」
「自分が悪かったー!キミのひまわりの種を勝手に食べたことは謝る!だから出てきてくれ〜!」
(なんなんだその理由は・・・)
苦笑しつつも、ささくれ立った心に僅かな安らぎを感じながら、プロデューサーはハムスターの主人と思われる声の方へ向かった。
そこには、月明かりを頼りに茂みをかき分け、文字通り草の根を分けて何かを探している少女がいた。
体が汚れることも、草葉で傷つくこともお構いなしだ。
(よっぽどこいつのことが大切なんだな)
ピコピコ揺れる大きなポニーテールが小柄な体と相まって動物っぽいな、などと失礼なことを考えつつ、プロデューサーはその必死な後ろ姿に声を掛けた。
「キミが探してるのはこいつかい?」
「え?・・・あ、ハム蔵!」
こちらを振り向いた少女は、プロデューサーの手の中に収まっているハムスターの姿を見ると、目を輝かせて立ち上がった。
「ありがとう!・・・えっと、おじさん!」
「何迷った挙句失礼な方を選んでんだ。お兄さんだお兄さん」
プロデューサーは少女にハムスターを手渡した。ハムスターは嫌がりもせず、素直に少女の手の平へ飛び移る。
「良かった〜。自分がハム蔵のエサを食べちゃっから、怒って逃げ出しちゃったんだ。もう会えないかと思ったぞ」
少女は茂みから月明かりの下へ、喜びも顕に躍り出た。
「・・・・・・!」
少女の顔を見て、プロデューサーは目を見開いた。
特徴的な長いポニーテールの少女が、間違いなくあの我那覇響だったからである。
(なんだコレは・・・偶然?運命?冗談にしては悪質すぎるだろ・・・!)
掌にじっとりと汗が湧き出るのを感じながら、プロデューサーは必死で頭を巡らせた。
「どうした?ヘンな顔して」
「あ、いや・・・キミの顔に見覚えがあってね」
上手く動かない唇を必死で操って、声が震えるのを抑えた。
「ふーん・・・あ、もしかして、自分のこと知ってるのか!?自分、我那覇響!961プロのアイドルだぞ!」
「な、なるほど、確かにテレビで見たことがあるな。キミがあの・・・」
「ふふーん、そんなに緊張しなくてもいいぞ。おじさんはラッキーだな!将来トップアイドルになる自分に会えるなんて」
顎に指をあてて不敵に笑う響。
「あ、そうだ!ハム蔵を見つけてくれたお礼に、サインしよっか?」
「あぁ、じゃ、じゃあ頼むよ」
プロデューサーはカバンから未使用の色紙とサインペンを取り出した。
「お、何だ?準備がいいんだな」
「まあ仕事柄ね」
担当アイドルが不意に外でサインを贈る必要があることもある。プロデューサーとしては当然の備えだった。
「ふーん?まいっか!じゃ、描くぞ〜」
響は大して気にも留めず、プロデューサーに背を向けてサインを描き始めた。
驚いたことに、ハムスターは響の肩に登って大人しく収まっている。
(・・・これは、チャンスか?)
プロデューサーは油断なく周囲を見渡した。
辺りは薄暗く、人気はまったくない。
『誘拐事件が起こってもおかしくないような雰囲気』だ。
(貴音と連絡が取れない今、この子が唯一の手掛かりと言ってもいい)
自分の前にこうして彼女が現れたのは、必然だったのではないか?
そう、例えば、ここで我那覇響を誘拐する。
小柄な少女一人、気絶させて車まで運ぶのは簡単だ。
適当な場所に監禁し、情報を聞き出すのだ。
仮に彼女が何も知らなかったとしても、バンナイヌのパイロットは失われる。
それだけ敵の戦力を削ぐことが――
(・・・敵?)
プロデューサーは腰のホルスターから護身用のスタンガンを取り出そうとして、手を止めた。
掌に当たる冷たい鉄器の感触が、じんわりと熱を奪っていく。
プロデューサーが逡巡している間、我那覇響は一生懸命サインを描いていた。
おそらく、あまり練習したことも描いたこともないのだろう。覚束ない手つきで、ゆっくりと、時々「あっ」「うわっ」「やっちゃった・・・」などと呟きながら、それでも必死にサインを描いている。
その姿は、真剣だった。
(見ず知らずの、ファンでもない奴に、あんなに一生懸命サインを描いてるのか)
プロデューサーは、自分がずっと息を止めていたことに気づき、大きく息を吐く。
(敵、か。・・・最悪だな、俺)
「なー、おじさん、名前なんて言うんだー?」
「・・・久保だよ。あとおじさん言うな」
心に余裕が戻ってきていることを感じながら、プロデューサーは響に軽口を返す。
最悪の上に最低が重なるような選択をせずに済んだことに、心の中で感謝しながら。
「久保さんへ・・・と、できたぞ!」
「ほほう、どれどれ」
満面の笑みを浮かべて響は色紙とサインペンを返した。
「ハム蔵を見つけてくれたお礼の気持ちも込めて、丁寧に描いてやったぞ!」
プロデューサーは色紙を一通り眺めると、ふむ、と前置きをひとつ。
「このサインなら今の間に10枚は描けないと話にならんぞ」
「なっ・・・!」
「全体的にバランスが悪いな・・・あ、ここ3回も描き直しただろ。字が違って見えるぞ」
「う・・・ううっ・・・」
「直線は歪まないようにハッキリしないとな。曲線と強弱の差を付けるともっと良い」
「な、なんだよー!そんなに文句ばっかりで!せ、せっかく喜んでもらえると思ったのに・・・」
有頂天の笑顔だった響の顔が、今や怒りと悲しみが綯交ぜになった変な表情で真っ赤に染まっている。
プロデューサーは、感情を素直に現す響の様子を微笑ましく観察しながら、
「嬉しいよ」
と答えた。
「え?」
「ありがとう。大切にするよ」
プロデューサーは頭を下げた。
「そ、そうか!喜んでもらえて自分も嬉しいぞ!」
照れ笑いを浮かべる響。
(この子もアイドルとして確かに逸材だ・・・何でこんなことになったんだろうな)
彼女もまた、再びIDOLを駆ってモンデンキントに襲いかかってくるだろう。その運命を恨まずにはいられない。
せめてアイドルとしてのライバルであれば、こんなに悩まずに済んだのに。
これ以上は限界だった。
何も知らない響の笑顔を見ていることが辛かった。
「代わりと言っちゃなんだが、これは俺の名刺だ。・・・受け取ってくれ」
自分への罰と戒めとして、名刺を自ら響に渡す。どちらにしても、961プロが要注意人物として教えるだろうが。
「おお、自分、名刺なんてもらうの初めてだぞ!えーと、久保勇気・・・芸能プロダクション、765プロ、プロデュー・・・サー・・・」
響の顔が見る見るうちに青ざめていく。
初めて貴音に名刺を渡した時もこんな感じだったな、と思い出して心の中で苦笑。
「そうだよ。俺は765プロのプロデューサーだ」
泣き笑いのような表情で、プロデューサーが告げる。
次の瞬間、響は凄まじい勢いで反転し走りだした。
静止状態から一瞬で振り向き、地を蹴り、最高速に乗せる。スプリンターさながらの動き。
「ま、待ってくれ!!」
あれほどのダンスを行う確かな身体能力の高さに舌を巻きつつ、プロデューサーは声を張り上げる。
無理に引き止めるつもりはなかったが、いきなり逃げ出されるのは想定外だった。
「話を聞いてくれ!!」
響は一瞬だけ速度を落とし、後ろを振り向く。
だが、プロデューサーが追いかけてこないことを確認しただけで、そのまま走り去ってしまった。
プロデューサーは月下に一人取り残される。
「あ〜あ・・・しくったかな、こりゃ」
ボヤいて、手に残されたサイン色紙を見る。
サインを大きく描きすぎて名前が入らなかったのだろう。端っこに小さく『久保さんへ ありがと!』と可愛らしい文字が書いてあった。
「我那覇響、四条貴音、か・・・」
プロデューサーは色紙をカバンに丁寧にしまうと、僅かに残った温かい空気を振り切るように、急いでその場を立ち去った。

翌日。
日本に現れた謎のIDOLに対する話題で湧き上がる街並みをくぐり抜けて、プロデューサーと真は延期されたオーディションを受けるため、再び坂上にあるオーディション会場に向かっていた。
「へへっ、プロデューサーが付いてきてくれるなら、ドーンと安心できます!・・・でも、やよいは参加できないんですか?」
「ああ、延期のせいで他の仕事とぶつかっちまった。まあどっちにしても、お前かやよいのどちらかしか出さないつもりだったが」
「え?どうしてです?」
「我那覇響が出るからだよ」
響の名前を聞いて、真は神妙な表情で頷いた。
「響の実力は頭抜けている。1人にアドバイスを集中したほうが勝てる可能性が上がる・・・と、俺は思ってる」
「分っかりました!やよいの分も頑張りますね、ボク」
「ああ、よろしく頼むぞ」
プロデューサーを真はガシッ、と拳を合わせた。
控え室に入ると、響以外の参加者は全員揃っているようだった。
プロデューサーはざっと周囲に視線を走らせる。
全員が昨日のアンドラム襲撃、謎のIDOL出現について話題に花を咲かせていた。
(やはり浮ついているな・・・これなら楽勝)
チラリ、と真に視線を移す。
下を向き、両手の拳をぎゅっと握り締め、何か考え込んでいるかのように視点は定かではない。
(――なんだがな、普段なら。浮ついてないのはいいが、気負い過ぎだ)
プロデューサーは小さくため息。
「真、あまり響のことを意識しすぎるな」
「プロデューサー・・・。それは分かってるんですけど、でも、どうしても」
「まあ昨日の今日だからな。無理もないが、今は自分の演技に集中するんだ。120%の力で挑めば、勝てる」
「は、はいっ」
真は決死の表情で頷いた。
「うーん・・・まだ固いな」
「え?」
プロデューサーは真の肩をモミモミする。
「ひゃっ!?ちょっ、プロデューサーっ」
「もっと肩の力を抜け。力んでると動きが鈍るぞ」
「わわわ、分かってますって!ちょっ、くすぐったいですっ、あは、あはははは!」
プロデューサーと真が仲良くじゃれ合っていると、控え室の扉が元気よく開けられた。
「はいさーい!セカンド・トップアイドルのみんな!昨日は自分の実力を見せられなかったけど、今日は自分がぶっちぎりで勝たせてもらうから、よろしくな!」
とんでもない挨拶で入ってきたのは我那覇響である。一瞬で控え室の雰囲気が悪化した。
だが、周囲の刺ある視線もどこ吹く風。響は壁際の一角で柔軟を始める。
「なんてこと言うんだ、響の奴」
意識するなと言われても、流石にこれにはカチンと来たのか、真は腕を組んで響を睨みつける。
「・・・・・・」
プロデューサーはすたすたと早足で響に近づくと、すぱしんっ、といい音を鳴らして頭を軽く叩いた。
控え室の全員が驚きに固まる。
「あだっ!な、何するんだよ!・・・あ、変態765プロ!?」
響は頭を押さえて、涙目でプロデューサーを睨みつける。その視線には敵意がいっぱいだ。
「何ぃ?誰が変態だ。失礼な」
「765プロは大して実力もないアイドルを抱えて、卑怯な手段でのし上がってる極悪事務所で、そこの社長とプロデューサーは、その見返りに所属アイドルに好き放題セクハラしまくってる変態事務所だって、黒井社長が言ってたぞ!」
「いや、どう考えてもそれ嘘だろが」
「セクハラって・・・」
「そう言えばさっき・・・」
ひそひそと囁き合う野次馬をプロデューサーは、きっ、と一睨みで黙らせる。
そして、不満たらたらでプロデューサーを睨みつけている響に、諭すように語りかけた。
「まったく・・・いいか?無駄に敵を増やしてどうするんだ。この業界を渡り歩くなら、大抵の相手とは口先でくらい仲良くしとけ」
(プロデューサーの言うことも大概酷いよなぁ・・・)
プロデューサーの後ろで真は冷や汗。
「そんな事して何になるんだよ」
「相手が油断する。お前はマラソン大会で一緒に走ろうね♪と約束した友人に全力ダッシュで置き去りにされたことはないか?」
「いや、自分はいつもトップだったから、そんな約束したことないぞ」
「そうか。まあ俺もないな。置き去りにしたことならあるが」
「最低だ・・・」
真のツッコミに、プロデューサーは咳払い。
「とにかく、自信をひけらかすような程度の低い真似はよせってことだ。いいな?」
「ふんだ。変態765プロの言うことなんか聞かないもんね」
「その通りだよ。響ちゃん」
控え室の入り口から、男の鋭い声。
反射的にプロデューサーと真が振り向けば、そこには妙にヒラヒラした格好の中年男性が、汚物を見るような目で二人を見ていた。
「そして、765プロなんかに近づいてはいけないと言わなかったかな?」
「ご、ゴメンなさい、黒井社長。こいつらがいきなり・・・」
響の口調からしおしおと覇気が抜けていく。
プロデューサーは眉をピクリと上げた。
(コイツが黒井か)
「うんうん、響ちゃんは悪くないんだよ。ただ、これからはこんなゴミどもと関わらないように気をつけてくれたまえ」
猫なで声の黒井社長だが、その目は本気だった。本当に二人のことが汚物として見えているのだろう。
「幾ら何でもあんまりじゃないですか!?」
真が食って掛かるが、黒井社長は気にも留めない様子。
「ふん、ゴミ事務所のゴミアイドルをゴミと言って何が悪い」
「ううっ・・・」
「真、下がってろ」
黒井社長に睨みつけられて怯む真を背後に庇い、プロデューサーは黒井社長に一礼。
「初対面の人間に随分と汚い言葉をお使いになる。ゴミが付いているのは貴方の口では?」
「お前が高木の犬か。ふん、随分とまあ冴えない顔じゃないか」
「それはどうも。顔はお綺麗でも、誰にでも噛み付くような野良犬社長よりマシだと思いますけどね」
「な、何だと!?」
「落ち着きのない方だ。そうやってすぐに吠えるのも、躾が足りない証拠ですよ」
「こ、この・・・!フン!私としたことが、こんな底辺の連中の言葉など聞いてしまったよ」
(・・・少しはデキるか)
怒らせて様子をみるつもりだったが、襟を整えた黒井社長を見て、プロデューサーはこれ以上挑発するのを諦める。
「とにかくだ!響ちゃん、何度も言うが、トップアイドルになりたければ誰とも関わらないように気をつけたまえ。私は例外だが、周りは全員、敵だ。特にこの765プロみたいなあくどい連中はな」
「う、うん。分かってるぞ」
「うんうん、それならいいんだ。じゃあ今日のオーディション頑張りたまえよ」
さっさと帰ろうとする黒井社長を、プロデューサーが呼び止める。
「待てよ。アンタは応援して行かないのか?」
「応援だと?こんな勝てて当たり前のような低レベルのオーディションにかね?ハッ、765プロはやる事なす事何もかもが低次元なのだな」
「じゃあプロジェクト・フェアリーにプロデューサーはいないのか」
「我が961プロにはプロデューサーなどという連中は不要だよ。私一人で十分だ」
「・・・なるほど」
「フン、余計な時間を食ってしまった」
黒井社長は不快そうに鼻を鳴らし、控え室を荒々しく出て行く。
プロデューサーには黒井という男の人となりがおおよそ分かった気がした。
「何なんですか、あの人!ひっどいなぁ!」
真は怒り心頭である。大なり小なり、控え室にいる面々も同じ気持であろう。
「周りはみんな敵だ、なんて、そんな事あるわけないじゃないですか!ねぇ?プロデューサー」
「・・・んー、まあ、黒井社長の言うことも分からなくもないけどな」
「そんな!」
「怒るなよ。方法論としての理解だ。そんなやり方は、俺の理想じゃない」
「あ・・・その、ゴメンなさい」
真は、プロデューサーの静かな表情の内側に大きな怒りが詰まっていることに気づいた。
「それから、ありがとうございます。・・・ボク、庇ってもらってちょっと嬉しかったな。ヘヘッ」
「礼はいらんさ。か弱いお姫様を守るのは騎士の誉れだよ」
恭しく頭を垂れるプロデューサーに、照れて真っ赤になる真。
「お、お姫様・・・」
耳まで赤くして、真は俯いてしまった。
「なーんてな。ははは。どっちかと言うと真にはナイトの方が似合・・・おい?真?」
真はエヘヘヘと怪しい笑みを浮かべながらずっと後ろ頭を掻いている。そのお陰で、全て台無しになるようなプロデューサーの一言を聞かずに済んだ。
(やれやれ・・・一体何がどうしたんだか)
プロデューサーは気を取り直して、ざっと辺りを見渡す。
響の姿を探すと、控え室の隅っこの壁に寄りかかって、誰とも視線を合わせないようじっと床のタイルを見つめていた。
控え室の話題は謎のIDOLから961プロへの悪口一色へと移っていた。ヒソヒソと囁きあうもの、聞えよがしに文句を言うもの、チラチラと響の様子を観察しては何事か囁き合い、キャハハと厭らしい笑い声を上げる子もいる。
望むと望まざると、響の周りには敵しかいなくなってしまった。
「・・・やはり、俺の理想には程遠いな」
その様子に嘆息して、プロデューサーは無遠慮に響に近づいた。
「よう。そろそろオーディションが始まる時間だな」
「・・・・・・」
響は、ぷいっ、と横を向いた。黒井社長の言いつけを守り、一切言葉を交わさないつもりなのだ。
プロデューサーはそれも意に介さず、
「ああ、別に返事はしなくていい。俺が一人で喋るのは勝手だろ?」
「・・・・・・」
「今日のオーディション――」
拳を突きつける。
「全力で来い」
「・・・・・・え?」
「周りなんて気にするな。一切手抜きをするな。お前の実力を見せてみろ」
響は思わずプロデューサーに視線を向ける。疑問と、怯えの混じった視線を。
プロデューサーは響と目を合わせて、微笑とともにひとつ頷くと、それ以上は言わず背を向けた。

そして、オーディションが開始される。
今日の流行1位はダンス。どのアイドルも積極的にダンスアピールに走るが、やはり真と響の圧倒的なテクニックの前には為す術がない。
(全力で来いとは言ったが・・・)
観覧席から、プロデューサーは乾いた唇を舐める。
響の実力はビデオで確認した時よりも、想像していたよりも遥かに上だった。
だが、今日は真も今までにないくらい絶好調で、その響と肩を並べている。それもまた、プロデューサーにとって予想外の事態だった。
(このレベルになると、どちらが勝つかはもう審査員次第・・・)
プロデューサーは迷った。
(だがあまり露骨にやり過ぎるとダンス審査員が飽きて帰ってしまう可能性もある・・・ここはボーカルとビジュアルに振るべきか?)
今日の真なら、ダンスを多少手加減しても他の参加者に飲まれる可能性は薄い。星は落とさないはずだ。
(・・・だが)
しかし、真と響のパフォーマンスを見比べている内に、そんなことはどうでも良くなった。
(もっと上のダンスが見たい、な)
それは二人に向けられた思い。
今この場でボーカルやビジュアルにアピールを振り分けているのは、ダンスで張り合うことを諦めた他のアイドルだけだ。
響はダンスアピールに一切手を抜いていない。
(こっちが先に言い出したことだ。ここで手は抜けないな)
プロデューサーは真に合図をする。『もっとダンスをアピールしろ』と。
その一瞬、ほんの刹那の間、真はプロデューサーと視線を交わす。
「ありがとうございます!」
プロデューサーには、真の元気一杯ま声が気がした。
真はプロデューサーが見たこともない新技を披露し、完璧にこなす。
響も負けじと大胆な動きで空を斬り裂き、周囲をあっと驚かせる。
そして、凄まじい運動量を消費した緊迫のオーディションが、終わりを告げた。
静まり返っていた会場が、息を吹き返したようにざわめき出す。
それもそうだろう。このランクでは到底あり得ないような、最高レベルのダンスを披露したアイドルが2人もいたのだ。
額の先から汗を滴らせて、真と響は顔を合わせる。
最初は、睨み合い。
だが、お互いのザマに二人がほぼ同時に噴き出し。
息も切れ切れに、疲労した腹筋を痙攣させながら、そんな笑顔で腕をガシッとぶつけ合った。
「それじゃ、合格者の発表だ。――3番、961プロ、我那覇響!23点!」
「やった!やったぞ!」
響は大きくガッツポーズ。真は顔を抑えて天を仰いだ。

「22点か、惜しかったな」
「すいません、プロデューサー。ボク、響と張り合うことしか考えてなくて・・・」
「そう指示したのは俺だ。響のことは意識するなとか言っておいてな。悪い」
響は1位で勝利したものの、通常のオーディションとしてはかなり低い点数での勝者となった。
結果を見れば、響はボーカルを1回、ビジュアルを2回落とし、真はビジュアルを2回、ボーカルを1回落としている。
「ダンスは詳細点まで完全な同点。・・・流行2位と3位が逆だったら、勝敗は分からなかったな」
「響とは完全に互角ってことですね」
「そうなるな」
しばらく真は考え込んだ後、神妙な面持ちで俯いた。
「・・・プロデューサー、ごめんなさい」
「何がだ?」
「ボク、負けたのに、あんまり悔しくないんです」
真はギュッと拳を握り、胸に当てた。
「ふっ、俺もだよ。今日は久々にいいダンスを見せてもらった。最高だったぞ」
プロデューサーは真の頭に手を乗せた。
真は陶然とプロデューサーを見上げ、
「真!」
その時、真の背後から現れたのは、なんと我那覇響であった。
「響・・・」
「へへっ、お前って、結構凄いんだな。自分、勝てるかどうか分かんなかったオーディションは初めてだぞ」
「響こそ。あんなにダンスだけで誰かとガツンとぶつかり合ったのは初めてだよ。でも、次は負けないからね!」
「ふっふーん、残念だけど、次も自分が勝たせてもらうぞ!」
2人の間には自然な笑顔が浮かんでいた。
「自分、真とは敵だけど・・・でも、いいライバルになれそうだな!」
「ライバルか・・・そうだね。ボクもそう思うよ」
「それから、765プロも、ありがとな」
響はプロデューサーにも礼を述べる。
「俺か?」
「うん。765プロは変態だけど、いい変態なんだな!」
「・・・まず変態認識を改めてから礼を言え」
響は、いーっ、と歯を見せて2人から離れる。少し、名残惜しそうに。
「じゃあ、自分、この後収録だから。またな!」
手を振って、こちらの返事を待たずに駆け出す。
沖縄少女の小さな背中と大きなポニーテールは、すぐに見えなくなってしまった。
「また・・・か」
上げていた手を降ろし、プロデューサーは苦笑。
「黒井社長殿のお言い付けはまったく聞いていないようだな」
「あんなの、聞く必要ないですよ」
「ま、それはそうなんだが」
プロデューサーは改めて考えを整理する。
(響は口でこそ黒井に従っているが、高ぶると自分の感情を優先するようだな。貴音は聡い。黒井の本性に気づいてないわけはないだろう。となれば、貴音も響も、何かしらの理由で黒井に縛られている)
嬉しそうにオーディション会場を出る真の後ろを歩きながら、思考は回す。
(その理由を無効化できれば、人望のない黒井の元を離れるだろうか・・・。どっちにしても、彼女らに悪意がないことは確認できた)
プロデューサーは小さく頭を振った。
(悪意どころか、彼女たちも紛うこと無く『アイドル』だ。ウチのアイドル達と何一つ変りはない)
だからこそ、響と貴音を利用して戦わせている黒井は許せなかった。
「・・・なあ、真」
呟くように、プロデューサーは小声で真に問いかけた。
「はい?何ですか、プロデューサー」
「響と戦いたいか?」
「それはモチロンですよ!」
真は握り拳を作ってみせた。
「IDOLに乗ってもか?」
「え?そ、それは・・・えっと」
「・・・俺は嫌だな。お前と響が殺し合うなんて、夢でだって見たくない」
「プロデューサー・・・」
プロデューサーは目を閉じ、柏手を一つ。
「よし、決めた!」

「『徹底防戦』だ!」
プロデューサーは白板に書いた『徹底防戦』の文字をバン!と叩いた。
「我がモンデンキント・ジャパンは、トゥリアビータの侵攻に対し断固たる決意を持って徹底的に逃げる!」
プロデューサーの堂々たる宣言に対し、モンデンキントの作戦会議室に集められたアイドルたちは無反応だった。
白けた空気にプロデューサーが首を傾げる。
「どうした?」
「どうした?じゃないわよ!少しでも腑抜けたこと言ったら蹴り飛ばしてやろうと思ってたけど・・・もう呆れて文句を言う気力もないわ」
最初に反応した伊織が、文句を言いつつ肩を竦めた。
「それは、トゥリアビータのIDOLが来たらとにかく逃げろ、ということですか?」
千早も真意が掴みきれない、という顔だ。
「基本的にはそういうことになるな」
「でも、この前は見逃してくれたけど・・・向こうが本気だったら逃げ切れるかなぁ」
心配そうな真。
「そこだよ。改めて戦闘記録をひっくり返してみたが、お前たちはどうにも防御や回避が下手だ」
「ぶーぶー。敵倒せればそれでE→ジャン!」
「そーそー。コーゲキは最大のボーギョだよ、兄ちゃん!」
双子のブーイング。
「それを言うなら・・・って珍しく合ってやがる。とにかく、防御や回避の上達が当面の目標だ」
「うーん・・・それだけで大丈夫なんでしょうか?」
首をひねる春香。
「大丈夫だ。全力で逃げる相手を倒すのはそもそも難しい。回避や防御が上達すれば、なおさらだ」
「ん〜、でも〜、2体に囲まれたら、大変ですよねぇ〜?」
顎に指を当てながら、あずさ。
「シフトを見直しましょう。必ずサブパイロットを準備し、相手が2体現れたら出撃させます。アイドル活動に多少影響がでますが・・・事態が事態なので」
「でも、もしトゥリアビータのIDOLがもっといっぱいいたら、どうするんですかぁ・・・?」
雪歩は勝手に最悪の事態を想像し青くなる。
「その時はその時だ。とにかく、情報を集めるための時間も欲しい。無目的にこれからずっと逃げ続けろって言ってる訳じゃないんだ」
「プロデューサー、肝心なことを忘れてますよ」
律子はメガネをクイッ、と持ち上げて、
「相手がこちらの基地を攻撃してきた場合です。逃げ場はありませんよ」
「・・・その時は」
プロデューサーに、アイドル達の視線が集まる。
「降伏しよう」
『えええええええええええっ!?』
異口同音にアイドル全員が叫んだ。
ぎゃーぎゃーと喧噪が巻き起こるが、プロデューサーは両手のジェスチャーで黙らせる。
「まあ落ち着け。これには色々理由があるんだ」
プロデューサーは白板を裏返し、教師よろしくペンで色々と書き始めた。
「まず、トゥリアビータには最大の弱点がある。何だと思う?はい伊織」
「え?え?私?・・・えーっと・・・」
いきなり指名されて狼狽える伊織。
「時間切れだ。ヒントはトゥリアビータの設立目的にある。分かる人ー?」
「はーい」
「はい、あずささん」
「うふふ、何だか学生に戻ったみたいで気分がいいですね」
と、現役学生勢に囲まれて二十歳はうっとりしている。
「・・・えー、次」
「あらあら、待ってください。本当に分かってるんですよ〜?」
「・・・ではどうぞ」
「トゥリアビータさんは、皆を守ってアンドラムと戦わなきゃいけないことで〜す」
「正解」
プロデューサーはキュキュッとペンを走らせる。
「モンデンキントのアイドルを全て破壊するなどと宣言しているが、その場合彼らはモンデンキントに代わってアンドラムから世界を守らなければならなくなる。だが、それは不可能だろう」
「トゥリアビータの戦力が不明とは言え、モンデンキントと同等ということはまずあり得ないって訳ね」
律子が頷いた。
「ああ。そこに交渉の余地があるはずだ」
「こちらのIDOLを奪われたらどうするおつもりですか」
「いい質問だ、千早。ついでに、奪ったIDOLを操縦できるIDOLパイロットの人的リソースをトゥリアビータが確保していた場合、今の前提は意味がなくなるが・・・やはりその可能性も薄いだろう」
プロデューサーは断言する。
「結局、トゥリアビータはモンデンキントの戦力が維持されていなければ活動できない」
「じゃあアンドラムが出てきても、あいつらに任せておけばいいってワケね?」
伊織は、にひひっ、と意地の悪い笑み。
「おいおい、モンデンキントが先に出ないと、相手に正当性を与えるだろ。有り体に言って、現状だとアンドラムを放置してもトゥリアビータはあまり責められない」
プロデューサーはペンの反対側で耳裏を掻く。
難しくなってきた会話について行けてない亜美真美、真、春香の後ろから、すっと白い手が伸びた。
「あの・・・プロデューサー。それでも、それでもトゥリアビータが私たちのIDOLを破壊しようとしてきた場合は・・・?」
雪歩のか細い声に、場が一気に静まりかえる。
プロデューサーはアイドル一人一人の顔を見ながら、ゆっくりと答えた。
「・・・その時は、素直にIDOLを降りよう」
「・・・・・・」
「お前たちの夢はトップアイドルになることであって、IDOLに乗って戦うことじゃない。お前たちの身の安全は何があっても守る。だから、決して無茶だけはしないでくれ」
プロデューサーの言葉にそれぞれが頷くものの、アイドルたちの顔は一様に晴れない。
その理由を考えないように、ただの不安だと自分に思い込ませて、プロデューサーは目を逸らした。
「――以上だ」

第9話・了