第12話「スキをさがして」
それは、大波乱となったアイドル水泳大会が終わった数日後のことである。
「美希をデビューさせませんか?」
プロデューサーは社長の机に両手をつき身を乗り出すようにして、こう主張した。
「・・・いきなりやってきたかと思えば、藪から棒だね」
「ええ、まあ。さっき思いついたので」
ため息混じりの社長に、あっけらかんと答えるプロデューサー。
「美希君のデビューを遅らせるように提案したのも君だったと思うが?」
「それは社長も同意見だったでしょう。自覚のないままデビューをさせると彼女のためにならないって」
「じゃあ、美希君にアイドルとしての自覚が出来たと?」
「いえ、さっぱりです」
プロデューサーは呆れた顔で首を振った。
「ですが、ちょっと思うところがありまして」
「それはなんだね?」
「美希には実際にアイドルとしての仕事をさせながら成長を促したほうが良いかもしれない、と」
この間のアイドル水泳大会が終わってから、プロデューサーは美希の中に現れた“変化”に気づいた。
それは気のせいかもしれない。しかし仕事に対する姿勢が、ほんの少しだが、よくなった気がするのだ。
「ふむ・・・」
社長はしばし考え込む。
「しかし、デビューさせるとして誰が担当するのかね。君がやるかね?」
「俺はもう8人も担当してるんですよ?無茶言わんでください」
「君はもう少しデキる男だと、見込んでいるのだが」
「確かに社長のおっしゃる通りですが」
謙遜はしないプロデューサーである。
「・・・この余裕は、あずささんと律子のために空けておきたいんです」
いつか、あの2人がステージに戻る日のために。
社長はプロデューサーの視線をまっすぐに受け止め、頷いた。
「・・・分かった。そこまで言うなら考えてみよう」
「ありがとうございます。それと、美希には多分、専任のプロデューサーがいいでしょう」
「うむ、考慮するよ」
プロデューサーは社長に一礼して、社長室を後にした。

「おい美希ー?」
プロデューサーはその足で美希がトレーニングをやっているはずのジムに行く。
するとベンチプレス台でバーベルを握り締める美希が、
「お、やってるな!感心感心・・・って」
寝ていた。
ベンチプレスの体勢のまま、すぴーすぴーと気持ちよさそうに寝息を立てている。
「せっかくいいニュースを持ってきてやったのにこのザマかよ・・・早まったかな」
プロデューサーは頭を抱えた。
とにかく美希を退かさなくては他人の邪魔になる。
プロデューサーは美希の額をぴすぴすと突っついた。
「おーい、起きろー」
「ん・・・んー?むにゃむにゃ・・・もう食べられないの・・・」
「ベタなこと言ってないで起きろってんだよ。おい美希」
美希はうっすらと目を開ける。そして嬉しそうに、
「・・・んあ?あ、ハニーなの♪」
「起きたか?いいからちょっとこっち来」
プロデューサーは、はた、と動きを止めた。
「はにぃ・・・だと・・・」
「ん?どうしたの?」
美希はきょとん、と首を傾げる。
「おい美希、寝ぼけてるな?俺はハニーでもハニトーでもないぞ。さっさと目ぇ覚ませ」
「何言ってるの?ハニー」
美希はニコニコと、プロデューサーをそう呼んだ。
ジム中の視線が一気に二人に降り注ぐ。
プロデューサーは慌てて美希の首根っこを捕まえて、隅っこのベンチに引きずりこんだ。
「おい、何だその呼び名は・・・!」
「今日からね、ミキ、プロデューサーさんのこと、ハニーって呼ぶことにしたの!」
「からかうのもいい加減にしてくれ」
「むー、ミキ、からかってなんかないよ。だって、ハニーは、ハニーだもん♪」
プロデューサーはこめかみを押さえる。
(い、一体何なんだ・・・?よく分からんが本気らしい)
プロデューサー暦は短くない。確かに、この年頃の少女はたまによく理解できない遊びやルールを作ってしまうことがあった。
得てして子供はそういうものだと納得させていたが、今回は火の粉が自分にも降りかかってきた。
「まあ、いい。ただし人前じゃあらぬ誤解を受けそうだから絶対に呼ぶなよ。特に仕事中は絶対だ」
「えー?ミキそんなの気にしないよ?」
「俺が気にするの」
「ハニーってば、恥ずかしがっちゃって♪」
何故か妙に上機嫌な美希を前に怒るに怒れず、プロデューサーは嘆息した。
「で?今日はここで筋トレの予定だったはずだが」
「え、えーとね、ちゃんとやろうと思ってたんだけど、横になったらいつの間にか寝ちゃってて・・・」
プロデューサーのジト目の視線に、美希は焦って目を逸らす。
「たまにはレッスンお休みして、別のことをするのもいいかなーって、思うな」
「・・・・・・」
プロデューサーはじっと美希の横顔を見ていたが、やがて、ふむと頷くと、
「一理あるな。今日は休みにするか」
「ええっ!?」
驚いたのは言い出した美希である。
「何だ?」
「え、えと・・・その・・・いいの?」
「別にいいんじゃないか?たまには」
言うと、プロデューサーは大きく伸びをした。
「言っとくがレッスン自体はやるぞ。とりあえず、買い出しがあるから適当に繁華街回って、流行のお勉強と行こうか」
「え?そ、それって・・・」
美希の目が大きく見開かれた。
「不満か?」
「う、ううん!そんなことないの!ハニー、だーいすきっ♪」
「おいコラ、抱きつくなっ!」
腕にひしっとしがみつく美希を、プロデューサーは迷惑そうに引っぺがした。

プロデューサーは何の考えもなくレッスンを休みにしたわけではなかった。
(美希が実際にどんな考えでいるのか、確かめるにはいい機会かもしれないな)
そのために、まずは軽い買い物などで気を紛らわせ、話しやすい雰囲気を作るのだ。
そう、これはプロデューサーにとって極めて事務的な『お仕事』なのである。
買い出しについても、建前などではなく本当の用事だ。
(しかし・・・美希の奴、ずいぶんご機嫌だな。そんなに筋トレが嫌だったのか?)
スキップしながら3歩前を歩く美希に、プロデューサーは首をかしげる。
(でーとっでーとっ♪ハニーとデートっ♪)
美希の心内は喜色満面だ。
どちらも互いの心情など露知らず、仮初の『デート』が始まった。

化粧品に始まり、靴、服、バッグ、帽子、アクセなど、衣装に関係がありそうな店に二人は片っ端から足を運んでいく。
流行りの色は、形は、組み合わせは何か、あるいは次に流行りそうなアイテムはどんなものか。プロデューサーは美希に講釈したり、あるいは美希の意見を聞きながら、ステージに使う装飾品を一つずつ買っていった。
その度に美希はことごとく自分の分をおねだりをしたが、プロデューサーの財布の紐は頑として緩まなかった。
「ハニーはケチなの」
「だからこうして昼飯おごってやってるだろ?大体、事務所の金で勝手な買い物したら律子に殺される」
2人は昼食のため、繁華街の端っこにある喫茶店を訪れていた。
椅子に座った美希は足をバタバタさせて抗議する。
「だーかーらー、ハニーが個人的にプレゼントしてくれればいいって思うな!」
「何でお前にプレゼントしなきゃいかんのだ・・・」
ほうじ茶をすすって、プロデューサーは首を横に振った。
ハニーという呼び名については特に否定をしない。ハニーと呼ばれることにはすっかり慣れてしまったようだ。
美希は釈然としない様子で、仕方なくメニューを手に取る。
「何かここ、いまいちパッとしないお店だね」
店員にも客にも構わず、美希はスッパリと一刀両断。
確かに裏通りにある日本家屋風の店構えは、表通りの華やかさもあって一層地味に映り、しかも古風を通り越して古びれてしまった佇まいは侘び寂びの域を超えている。
中に入れば小ざっぱりと整理された綺麗なお店なのだが、店の外側の集客力は皆無に等しかった。
残暑厳しい昼の日中に、喫茶店がこんなに空いていていいのだろうかと思わせる風情だ。
「騒がしくないほうが俺の好みだがな。それに、美希も絶対気に入る」
「え〜〜?そうかなー?そうは思わないってカンジ」
「メニューをよく見てみろ」
プロデューサーは指を突きつける。
「おにぎりとイチゴババロアとキャラメルマキアートが一緒に出てくる店はそうそうないと思うぜ?」
「お、おおおおおお・・・!」
美希はキラキラと目を輝かせてメニューに釘付けになった。
「さすがにおにぎりの種類は専門店並みとはいかないがな」
「す、凄いの!ここは聖地なの!エルサルバドルなの!」
「エルサレムだろ」
プロデューサーは適当にあしらいつつ、テーブルの上に何かを探してキョロキョロする。
「・・・あー、君」
「はい!ご注文はお決まりになりましたか?」
接客スマイルで割烹着姿のウェイトレスが飛んできた。
「いや、灰皿を・・・」
「お客様、当店は禁煙となっておりますが」
「む」
プロデューサーは胸ポケットに差し入れていた片手を戻した。
「コーヒー。ホットで。ミルクだけでいい。あともやし炒め定食」
「ミキはね、明太子おにぎりと、おかかおにぎりと、イチゴババロアと、キャラメルマキアート!」
「本当にそれ一遍に食べるのかよ・・・」
げっそりと、プロデューサーは呟く。
大好物のメニューに囲まれて、先ほどまでふくれた美希はすっかり上機嫌になっていた。

駅徒歩7分。隠れ家的な雰囲気と、ミスマッチなメニューが口コミで大人気!
『和フェ 清流鈴』は皆様のお越しをお待ちしております。

「美味しかったのー!」
「ごちそうになりました、だろ」
「ありがと、なの♪」
「はいはい・・・」
焼きおにぎりをデザートと称して食後に平らげ、美希とプロデューサーは店を後にする。
「プロデューサー、美希の好きなもの覚えててくれたんだね」
「ああ、まあ一応みんなの分は覚えてるけどな」
さっ、と腕を掴もうとする美希を避けながら、並んで繁華街を歩く。
「む〜〜・・・」
「なんだ、さっきから」
「ハニーと腕組んで歩きたい!」
「暑いし恥ずかしいから勘弁」
プロデューサーはヒラヒラと手を振る。
「ハニーったら恥ずかしがりやさんなの」
頬を染めながら、うっとりと眼を閉じる美希。
主に『暑い』にイントネーションが置かれていた事は無視である。
「あ、そうだ!」
「なんだ?」
「ねぇ、ハニー、ちょっと付き合って欲しいところがあるんだけど・・・」
「あ、ああ、分かった」
プロデューサーに見えないように、にひひ、と美希は口元に笑みを浮かべた。

「ほー、これが最近の流行なのか。ちょっと派手じゃないか?そこがいいのかねぇ」
「ねぇ、ハニー・・・」
「ふむ、これは随分可愛いな。こういうフリルのつけ方もあるのか。勉強になるなー」
「ハニーってば」
「おいおい、こりゃちょっとセクシーすぎじゃないか?ティーン向けでもこんなの売ってるのか。なあ実際どうなんだ?美希」
「・・・・・・」
美希は無言でプロデューサーの甲を抓り、ランジェリーの山から引き剥がした。
「いててててっ、なんだ、どうした?」
「ちょっと落ち着いてほしいの!こ、こっちが恥ずかしいよ〜」
「おいおい、最近胸がこすれて痛いから新しいブラを買いたいって言ったのはお前じゃないか」
「そ、そうだけど・・・」
美希がそう告げた途端真っ赤になるかと思いきや、真剣な表情になったプロデューサーは美希の手を引いてランジェリーショップへ突入したのだ。
もちろん美希にとっては、ちょっとした悪戯心で吐いた嘘である。
「ハニーは恥ずかしくないの?」
「恥ずかしい?何が?」
プロデューサーは心の底から不思議そうに尋ね返した。
「美希は成長期だからな。衣装のサイズも逐一合わせておかないと辛いだろ?アイドルの管理はプロデューサーの務めだ」
「プロデューサーの・・・?」
「それに、ランジェリーショップに男1人で入るのは流石に後ろめたかったらな、いい機会だよ。色々勉強になる」
「うぅ・・・ハニーの馬鹿ぁ・・・」
プロデューサーの頭の中には本当にアイドルプロデュースのことしか無いようだ。
「とりあえず、サイズ測ってもらって来いよ。俺はあっちでショーツの方を・・・」
「もういいの!」
美希は怒って店を出て行く。
「え、おい、追いてくなって」
慌ててプロデューサーもその後を追う。
店には、興味津々に耳をそばだてていた若い女性たちのくすくす笑いだけが残っていた。

(女心ってのはよく分からん)
プロデューサーはふくれっ面の美希を宥めすかしながら、繁華街を離れ郊外へと続く道を歩く。
買い物作戦が破綻したので、予定を繰り上げて次の場所へ連れて行くためだ。
(買い出しは終わってるからいいが・・・)
途中でソフトクリームやジュースを買おうか、あるいはゲーセン行こうか、などと提案してみるが、美希は首を縦に振らなかった。
プロデューサーの後ろをとぼとぼと、3歩遅れで歩く美希。
その距離感が赤の他人のようで、このままどこかに行ってしまいそうで、心配になる。
(・・・こうか?)
「ほら」
プロデューサーは右手を差し出す。
「え?」
「手ぐらいなら、繋いでいいぞ」
「・・・ん」
美希の表情は優れないまま、しかし素直に手をきゅっと握った。
細くしなやかな指先。
俯いた表情さえも絵になる。
(ふむ・・・)
よくよく見れば、美希の服装、靴、アクセ、バッグ、ネイルなど、今日自分で垂れ流した講釈にピタリと当て嵌まるファッションだった。
(買い出しの時も、美希が選ぶアイテムのセンスは抜群だった。知識や学問としてじゃなく、天性の感覚で良し悪しが分かるみたいだ)
少しだけ歩くのが早くなった美希を連れながら、プロデューサーは思案する。
出会った時から、美希の才覚については薄々感じていた。
(何とか美希をアイドルとして花咲かせてやらないとな。できれば、それは俺の役目としたかったが・・・)
千早の歌姫としての名声は留まるところを知らず、世界すら視野に入ってきた。
春香は新世代の正統派アイドルとして、押しも押されもせぬ地位に昇りつつある。
幅広い年代からの支持厚い亜美・真美は、中央地方問わず生イベントのオファーが耐えない。
真には女性だけでなく男性人気も着実に集まり始め、中性的な魅力のあるアイドルとして頭角を表し始めた。
最近の伊織は人気上昇著しく、ファンのあまりの熱中具合はウイルス性の病気に例えられるほどだ。
雪歩は特にステージ上での勢いが評判を呼び、ライブ規模をどれだけ大きくしてもチケットが即完売してしまう状況が続いていた。
やよいはまだまだこれからのアイドルだが、固定ファン層は急速に形成されつつある。
あずさ・律子は、まったく露出のなくなった今でもファンレターが届くほど熱心なファンに支えられていた。
皆、それぞれが大事な時期を過ごしている。プロデューサーがいなくてもある程度は上手くやっているが、やはり肝心な部分でまだ手を放すわけにはいかない。
それに比べて美希はとにかく手がかかる。しかしそれは、悪いことではない。
日向で水をやるだけで咲く花もあれば、土・栄養・温度・湿度・日照時間、何もかも細かく管理して初めて蕾をつける花もある。
どちらも綺麗な花であることには変わりないが、それぐらい手塩にかけて初めて一人前の大輪を咲かせられる花もあるのだ。
美希はおそらくその後者。誰よりも手がかかるが、きっと誰も見たことのない綺麗な花を咲かせることができる。プロデューサーはそう確信していた。
だからこそ、やはり今の掛け持ち状態では無理だ、と結論づける。
このままでは美希にとって良い結果にならない。誰か信頼のできる者に託すべきだ。
(俺にとって大事だからこそ、か・・・)
もう、すぐそこに、この手を放さなければならない時が近づいている。
プロデューサーはほんの少しだけ、美希の手を握り返した。

「ほら、着いたぞ」
その言葉を合図に、2人は手を離す。
人家も少ない川沿いの遊歩道から少し離れた広い空き地。
遊歩道からは林に隔たれたそこは、しかし庭園のように綺麗に芝生が整備され、花壇やベンチが置かれていた。
山林と川を同時に望むことができ、まるで世界から隔絶された特別な空間のよう。
下流の広く緩やかな流れを見ていると、時さえもゆっくりと流れているように錯覚する。
「きれい・・・不思議な場所なの」
「凄いだろ?ま、出来上がった経緯はここの美しさとは雲泥の差なんだがな」
山沿いの公営団地開発が経済悪化で中断され、その計画の一端であった川辺公園の開発も頓挫してしまった。
しかし、公園の一部が既に開発済みであったため、市は管理せざるを得なくなってしまう。
こうして、無駄な血税が投入されてこの公園は維持されているのだ。
性質上おおっぴらに宣伝することもできず、知る者の少ない『秘密の花園』と化したこの公園は、そうした奇跡的な条件で存在していた。
「小さすぎず大きすぎず・・・中途半端と言えばそうだが、悪くないだろ?」
「うん!とってもステキなの!」
美希の機嫌もすっかり直ったようで、プロデューサーは一安心。
プロデューサーにとっても、ここは市職員の知り合いからこっそり聞いたとっておきの場所である。
ここで機嫌を直してもらわなければ、打つ手は無かった。
「あ、鳥さんがいるの!」
川を優雅に泳ぐ水鳥を見つけて、美希は川岸まで駆け寄る。
「気持ちよさそうなの。先生のお友達かな」
「おーい、あんまりはしゃいで落ちるんじゃないぞー」
遠くから声をかけるプロデューサーと言えば、歩き疲れたのかベンチに座って一休み中だ。
(おっさんくさいの)
と、美希は思った。
「だいじょうぶなのー!もし落ちたら、こないだみたいに、またハニーが助けてくれるんだよねー?」
「プールと川を一緒にするなー」
「どうなのー?た、す、け、て、くれるのー?」
「あー・・・助けるぞー。助けるけど、まず落ちないように気をつけろよー」
「はーい、なの!」
美希は少し照れた笑顔で、川の流れに視線を戻す。
残暑の折とは思えない涼やかな風が、鼻腔を撫ぜた。胸いっぱいに空気を吸い込んで、その心地よさに目を細める。
(きっと、助けてくれるよね。プロデューサーさんなら・・・)
胸の奥に湧き上がるのは、あの日の想い。
水底に沈んでいたココロを救い出してくれた、あの力強い感触。
いつだって、誰より美希を真剣に怒り、真剣に案じ、真剣に褒めてくれてきた、あの声。
思い返すたびに、胸が切なくなる。
きっかけは間違いなくあの時だった。だけど、ひょっとしたらずっと前から、初めて会ったときから、
(星井美希は、プロデューサーさんに、恋をしています・・・)
「おーい、美希ー」
どきっ、とした。
「なにー?」
「こっちにきて、ちょっとお喋りでもしないかー?」
プロデューサーにしては、意外なお誘い。
「はいなのー!」
期待に胸を高鳴らせつつ、美希はプロデューサーの待つベンチに走って戻った。

それから、色んなことを2人は話した。
当然主な話題はアイドルの話だったが、アイドルになったきっかけ、やりたいこと、楽しかったこと、一番の夢、仲間達のこと、話は色んな方向に飛んでいく。
プロデューサーは美希に話題を振っては、あちこち脱線しながらも一生懸命に喋る美希の言葉に真剣に耳を傾けた。
いつしか、話疲れた美希は眠ってしまう。
「・・・・・・むにゃ?」
そして気がつけば、空は茜色に染まっていた。
「起きたか。ありがたい、そろそろ肩が凝るところだ」
「え?」
美希は自然と、プロデューサーの肩に頭を乗せていた。
「・・・んふ〜♪」
美希は笑みを浮かべると、プロデューサーの首元に額を摺り寄せるように、一層強く体を預ける。
「おい、重い」
「む〜、美希重くないもん!」
「起きたんなら離れろ」
「まだ寝てるも〜ん」
「ったく・・・あと少しだけだぞ。帰りが遅くなる」
そう言って、プロデューサーは手元の本をパラリとめくった。
「それ何?」
「園花瑠璃子の詩集だ」
「あ、友達が持ってた気がする・・・かも。有名な人なの?」
「どうだろうな。そこそこ人気はあるみたいだ。まあ、まだこれからって感じかな」
「へー、プロデューサーってそういうのも読むんだ」
「何に対しても勉強は必要だ。それに」
プロデューサーはパタン、と本を閉じた。
真面目な雰囲気を察したか、それを合図に美希も体を起こし、僅かにプロデューサーから離れる。
「園花瑠璃子は、昔俺がプロデュースしたアイドルなんだ。言わば、お前達の先輩だな」
「そう、なんだ・・・」
「ああ」
2人は、それきり黙って、静かに流れ行く水面をしばらく眺めていた。
燃えるような緋に染め上げられた河は美しく輝くも、どこか物悲しい。
たゆたっていた鳥達はいつの間にかどこかに飛び去っていった後で、小さな木の葉が一枚、空しく浮かんでいるだけだった。
「瑠璃子は、アイドルとしてはあまり成功したとは言えなかった。引退して、作詩家の道を歩むとは言っていたが・・・」
「・・・・・・」
「芸能界ってのは厳しいところだ。特にアイドル業界はな。765プロのメンバーはみんな活躍しているように見えるだろうが・・・こうして何も残せず消えていった先輩もいる」
「・・・うん」
「お前は、『星井美希』は頑張れるか?頑張って頑張って・・・でも、その努力が報われない覚悟があるか?」
プロデューサーの視線をまっすぐ受け止めて、美希は頷く。
「ミキなら大丈夫。きっと、多分、頑張れるってカンジ」
「そうか・・・じゃあ」
プロデューサーは美希の頭に手を置いた。
「候補生は卒業だ。明日から、正式なアイドルとしてデビューの準備に入る」
美希の瞳が驚きに大きく見開かれ、夕日にも負けないくらいキラキラと輝きだした。
「ホント!?ホントにホント!?」
「ああ、本当だ。もうちょっとレッスンをサボらないでくれると有難いが・・・やる気があるのは分かった」
「わーい!やったー!やったやったやったー!」
飛び跳ねる美希。しかし――
「ちゃんと専属のプロデューサーも付けるから、しっかり頑張るんだぞ」
「・・・・・・えっ?」
プロデューサーの口から出てきた言葉は、まったく予想外のものだった。
固まった美希を見て、プロデューサーは不思議そうに尋ねる。
「どうした?」
「ハニーがプロデュースしてくれるんじゃないの?!」
「え?ああ、そうなるな」
「何で!?どーして!」
一瞬の喜びはもう吹っ飛んでいた。必死な表情で、プロデューサーに疑問を投げかける美希。
「どうしてって・・・そりゃ、俺が他のアイドルで手一杯だからだよ」
その勢いに圧されながら、プロデューサーは首を横に振った。
何故美希がこれほど食って掛かるのか理解できず、混乱する。
「安心しろ。別に鬼軍曹を宛てがおうってわけじゃない。ちゃんと美希に合いそうな奴を・・・」
「そうじゃないの!」
「じゃあなんなんだよ」
「ミキ、ハニーじゃないと、ヤ!」
「はあ?おいおい、ワガママ言うなよ。人見知りするようなタイプでもないだろ?」
「イヤったらイヤなの!」
美希はぶんぶんと首を振る。
「そりゃ知ってる人間の方が安心かもしれないが・・・ほら、俺よりもっと優しくて腕のいいプロデューサーが付くかもしれないんだぞ?楽しみだろ?」
「ハニーじゃなきゃダメなの!意味が無いの!」
「意味?」
癇癪を起こした美希にすっかり参って、プロデューサーは首を捻る。
(顔合わせの時は『そこの人』扱いだったくせに・・・俺じゃないとダメな理由って何だ?)
会ってしばらくは、美希はずっとプロデューサーを『そこの人』などと不敵な呼び名で呼んでいた。
律子と一緒になって散々叱り飛ばして、『プロデューサーさん』を定着させたのはむしろ最近の話だ。今日になってそれは『ハニー』へとあらぬ進化を遂げたが。
どうしてもプロデューサーにこだわる理由が分からない。
「なあ、何で俺じゃないとダメなんだ?教えてくれ」
「本当にわからないの?」
「ああ」
「・・・ヒドいよ」
拗ねたように下を向く美希。
怒鳴って叱ることもできたが、ここはぐっと堪えて頭を下げる。
「・・・すまん」
「ハニーは鈍感すぎるって思うな」
プロデューサーが顔を上げると、美希は泣き笑いのような表情で立ち上がって、プロデューサーの顔を照らす夕日を遮り、じーっとその顔を覗き込んだ。
「でも、そんなところも・・・」
眩しさに目を細めながら美希の顔を見上げる。
笑ったり拗ねたりと忙しかった美希の顔は、今は真剣で無表情だった。
その顔が赤く見えるのは、おそらく夕焼けのせいだけじゃない。
「美希?」
照れているのか、緊張しているのか。美希は押し黙って呼吸を整えている。
7回大きく呼吸をしてから、美希は静かに口を開いた。
「ミキね、ハニーのためなら頑張れるよ。ううん、ハニーのために頑張りたいの。だって・・・」
「まさか、」
「ハニーのこと、大好きになっちゃった」
はにかむように笑って美希は前屈みになり、プロデューサーの顔に自分の唇を寄せ――

ガッ、とプロデューサーに肩を掴まれ、押し戻された。
美希の表情が驚愕に染まる。
美希の肩を掴んだまま、プロデューサーは逆の手で額を抑えた。
「なる、ほど」
(ハニーってそういうことか・・・)
「ハニー?ねぇ、ハニー!」
美希は悲しそうな顔で必死に手を伸ばす。
指先が、プロデューサーの表情を覆い隠すその手の甲に触れた。
「ミキじゃダメなの・・・?」
「・・・・・・ダメだ」
プロデューサーは重々しく首を横に振った。
何と言えば美希を傷つけずに済むか、そればかりに考えを巡らせるが、しかしロクな言葉が浮かんでこない。
「ミキが、ハニーを好きになっちゃダメなの?」
「・・・男女の関係としてなら、ダメだ」
「どうして!?なんでダメなの!?」
「美希、お前はきっと勘違いしてるだけだ。大人への憧れを恋心と取り違えてる」
「違うもん!ミキ、ちゃんとハニーのこと好きだもん」
「仮にそうだとしても、俺は・・・美希のことは事務所のアイドルとしか思っていない」
「美希がアイドルだから?美希がアイドルだから、付き合ってるのがバレたら大騒ぎになるから、ダメなの・・・?」
「そうだな。確かに大騒ぎになるな。だけど、そんな理由じゃない」
それが理由だ、などと言えば美希はアイドルを辞めると言い出すかもしれない。
プロデューサーとしては、それだけは絶対に避けなければならなかった。
プロデューサーはしかと美希の目を見つめ返す。
「美希も、そんなの気にしないよ」
「俺は、それが気にならなくなるくらい、美希を好きになっていないよ」
困ったような笑顔で誤魔化した。
(美希の恋心がどこまで本気か分からない。しかし、ただ否定しても納得はしないだろう。問題があるのは俺の心の方だという形で落ち着けるしかない・・・)
「ハニー・・・」
祈るような気持ちで美希を見つめていると、美希は俯いてしまった。
「痛いよ、ハニー」
「あっ、すまん」
ぽそっと零れ落ちた美希のセリフに、肩を掴んでいた手を慌てて離すプロデューサー。
「ううん、そっちじゃなくて・・・」
美希はきゅっと胸を抑えた。
「・・・ねぇ、ハニーは付き合ってる人、いるの?」
「いや、いない」
いる、と答えれば諦めてもらえたのだろうか。答えてから僅かに逡巡するが、嘘はつきたくなかった。
「・・・だよね。ハニーはアイドル一筋だもんね。好きな人なんて、いないよね」
「失礼な。俺にだって好きな人くらいは・・・」
しまった。
後悔するも、もう遅い。
美希は顔を上げていた。――笑顔。
「好きな人、いるんだ?」
「あ、ああ・・・いるよ」
美希の笑顔の意味が判らず、プロデューサーは戸惑う。
大きく息を吐いて、安堵の笑みを浮かべる美希。
「良かったー。ハニーって恋愛とかそういうことに全然キョーミがないのかと思っちゃった」
「そ、そうか?俺だって人並みには、誰かを好きになることもあるさ」
「じゃあ、あとはミキがハニーと振り向かせるだけだねっ♪」
「・・・え?」
「ハニーがミキのプロデューサーになって、ミキのことずっと見てたら、きっと好きになるって思うな」
魅力的な笑顔。
プロデューサーはドキリとした。
かつて担当したアイドルに告白されたことは2,3回あったが、ここまで心動かされたことはなかった。
(これがステージ上でファンに振りまく笑顔だとしたら・・・)
酷な発想だが、プロデューサーとしてはそう考えずにはいられない。そして、その恐ろしさに背筋が寒くなった。
この一瞬の笑顔でプロデューサーですら魅惑されたのだ。彼女が本気になったら、一体どれほど多くの人間を虜にできるだろう――
「・・・って、いや待て、俺は美希のプロデュースは出来ないってさっき」
「うん。分かってる。だから、社長に直談判してくるの!社長がいいって言ったら、ハニーも問題ないよね?」
「社長が許すとは思えないが・・・もし社長を説得できたら、考えよう」
「やったー!じゃあ、早速行ってくるね!ハニー!」
まるで、もうプロデューサーが美希のプロデュースをすることが決まったかのような明るさで、美希は走り去ってしまった。
その勢いに圧倒され、プロデューサーは独り苦笑する。
(・・・俺に好きな人がいると聞いてもお構いなし、か。まいったな)
恋する少女の力強さに当てられて、プロデューサーはへなへなと情けなくベンチに倒れこんだ。
(あの魅力こそが人々の憧れの的・・・アイドルなんだな)
プロデューサーは空を見上げた。
「好きな人・・・か」
普段は忙しさにそんな気持ちなど忘れていたが、咄嗟にあんな言葉が出るほど、自分は『彼女』のことをまだ好きだったらしい。
だが、好きだからこそどうにもならないこともある。仮に自分の想いを告げたとして、想い破れて関係が冷え込むことも、願い叶って共に歩む未来さえも想像できないのだ。
『彼女』のことを傷つけたくない。その一心だけがこの想いを支える一本の糸。
つまり、これは未練なのだ。
美希のような美少女に惚れられるのは、男としては光栄である。
いっそ全てを忘れて美希の想いを受け入れてやるのが、自分にとっては一番幸せな選択肢なのかもしれない・・・。
「・・・そんなに賢しかったら、こんな苦労は抱え込まねぇって」
自分で自分にそんなツッコミを入れて、気合を入れるように勢いをつけて立ち上がった。


某所。
薄暗い、研究所のような場所。
多数のモニタと機械類に囲まれた冷たい部屋で、数人の男達が話をしていた。
「検査結果が出ました」
白衣の男がレポート用紙をステープラで纏めたものを差し出す。
椅子にふんぞり返って受け取るのは、黒井社長であった。
「見せてみろ・・・響ちゃんが14.35?貴音ちゃんが14.76?おい、貴様。何だこの結果は」
「はっ。我々でも様々な改善プログラムは施しておりますが・・・最近、数値の伸びが悪化しております」
「そんなことは見れば分かる!伸びが悪化どころの話じゃない、これはただの横ばいと言うんだ」
手の甲で資料を叩く。黒井社長の叱責に、白衣の男は平身低頭。
「はっ!も、申し訳ありません。他の被験者よりは圧倒的に高い数値ですが・・・失礼を承知で申し上げれば、限界、ということではないでしょうか」
「ノン。そんなことはない。私の見立ては完璧だ!彼女たちは、『王者』になる可能性を秘めているのだからね」
(そうだ。何か心理的なブレーキが掛かっているはずだ・・・だから他人と関わるなとあれほど言っておいたのだがね)
黒井社長は歯噛みする。一時期は15を越えたはずの数値が14台に落ち着いてしまった時期と、あの765プロがちょっかいを出し始めた時期は合致していた。
「・・・む?」
イライラしながら高速でレポートを捲っていた黒井社長の手が止まる。
先日のアイドル水泳大会で、秘密裏に調べさせていた他のアイドルの調査結果である。
あの大勢のアイドル達の中で、高くてもせいぜい10程度の数値が並ぶ中、唯一14以上の数値を出していた少女の顔に、黒井社長は見覚えがあった。
長いストレートの黒髪に、他人を寄せ付けない冷淡な表情。とてもアイドルとは思えないクールな風貌から、しかし発せられる歌声は熱く、聴く者を魅了する。
「くっくっく・・・これは、面白いことになりそうだねぇ・・・」
ページの一番上の見出しには『如月千早』の名前が冠せられていた。

12話・了