けもフレ2を見た。
なぜだか悲しくて胸が締め付けられる思いだった。
全体的に手堅く出来はいいのだが、こんな優等生みたいなけものフレンズをぼくは見たかったのだろうか。


3Dモデルや背景は露骨にリッチで、演出もSEも充実していた。
カルガモめっちゃ可愛かった。CVねこさん好き。
CM前後の映像はナショジオ使ってて金があるのがよく分かる。動物園に生取材するの面白かったから少し残念。
まあ、良かったのはそんなとこ。


たつき監督を切っておきながら1を彷彿とさせる演出、1に絡めたネタがやたら多いのが癇に障る。
謎が概ね解明した後では崩壊したジャパリパークへの恐怖と魅力は乏しい。

高さ数メートルの崖を降りたり幅数メートルの川を渡ったりしながら何キロも歩いたかばんちゃんに比べて、跨げば越えられるような溝を越えただけで褒められるキュルルちゃんのイージーモードは流石に露骨すぎやしないか。

劇伴については1の方が良い。劇伴は料理におけるソースくらい重要なものなのでこのハンデは大きい。

マシン化したセルリアンや拳で戦うサーバルなど戦闘面でも謎の調整が加えられているが、個人的にはセルリアンのデザインが生物的な方が圧倒的に好きなのでこれは改悪と感じる。
3Dモデリングの質感も安っぽいし。

アルマジロとセンザンコウは何だ?サーバル出すならアラフェネでもいいんじゃないか?
わざわざ声優を同じにしているのがなんか嫌なのだ。
Cパで主人公を追う2人組という演出のアイデア自体がたつき監督のものである以上、形式そのまま踏襲すること自体に不満感もある。


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サーバル・カラカル「食べないでくださーいw」

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キュルル「食べないよ!」

ワイ「は?」

リアルでこんな声が出た。
そもそもキュルルあんまり可愛いくなくない?
サーバルとカラカルを呼び捨てにしてるところも嫌い

そしてサーバルがかばんちゃんのことを忘れているのが一番辛かった。
カラカルがいるのになんでサーバルを出す必要があるのか分からなかった。
1とは別のサーバルか、1からずっと先の時間軸で成長したサーバルが見られるならあるいはと思ったが、結果としては最悪なものだった。
「記憶」がどれほど大切なものか、何のために最終話でサーバルは戦ったのか。それを全部無にするのはあんまりだ。
しかしこのサーバルの記憶喪失にはシナリオに絡む重大な伏線があるかもしれないから、まだ判断は保留にしておく。

もし最終話まで記憶が戻らなかったり、何もなかったようにかばんちゃん抜きで話が完結しようものなら、けもフレ2も角川も一生許さない。

……角川にはもう三生分くらい許さないポイントが溜まっているが、とにかく許さんことは許さん。


久々にけもフレ1を見てみると、最初はあんなに違和感しかなかったグラフィックや背景の全てが愛おしかった。
あばたもえくぼ。愛と慣れとは恐ろしいものである。
初見時1話Bパートの中盤までは低予算の低クオリティネタアニメをゲラゲラ笑ってやるつもりで見ていたが、ゲートセルリアン戦あたりから「これはとんでもない作品になるのでは?」という予感がした。
その予感は――実は大いに外れであった。けものフレンズは俺が予感したよりもっとずっと、比類なきとんでもない作品だったからだ。

ぼくたちが見たかったのは多分、1の前日譚、最終話で大セルリアンを倒してから海に出るまでのアレコレ、最終話からの純粋な続編、そのいずれかだ。
それが見られないのなら、1のような崩壊した世界のジャパリパークなんて描いてもらう必要はない。
アニメけもフレの大胆すぎる崩壊世界を描いたのはたつき監督だ。監督やスタッフを変えてまで同じようなことをさせるなら意味がないし、木村監督にも失礼だ。
たつきは切りたいが、人気の出た作品世界は残したい……そんな下衆の考えをするから角川アニメはすぐダメになるんだ。